慎思録 / 巻之二
四方上下。謂之宇。往古來今。謂之宙。斯身生乎天地之間。在乎萬古之後。宇宙之間之事。即是吾分內之事。不可不知焉。故天下之理。古今之迹。君子所當知也。苟欲知之。非博學。而何以爲哉。
新字:四方上下。謂之宇。往古来今。謂之宙。斯身生乎天地之間。在乎万古之後。宇宙之間之事。即是吾分内之事。不可不知焉。故天下之理。古今之迹。君子所当知也。苟欲知之。非博学。而何以為哉。
書き下し
四方上下、之を宇と謂ひ、往古来今、之を宙と謂ふ。斯の身は天地の間に生まれ、万古の後に在り。宇宙の間の事は、即ち是れ吾が分内の事なり。知らざるべからず。故に天下の理、古今の迹は、君子の当に知るべき所なり。苟も之を知らんと欲すれば、博学に非ずして、何を以て為さんや。
現代語訳
四方と上下を宇といい、過去から現在までを宙といいます。この身は天地の間に生まれ、はるかな昔の後に生きています。宇宙の間の事は、そのまま自分の分内の事です。知らずにいてはなりません。だから天下の理と古今の出来事の跡は、君子が知るべきものです。もしそれを知ろうとするなら、博く学ぶのでなければ、どうしてできましょうか。
解説
「宇宙」という語の定義から、学問の範囲を広げる根拠を示した条です。「四方上下を宇と曰ひ、往古来今を宙と曰ふ」は『淮南子』斉俗訓などに見える古い定義です。「宇宙の内の事は乃ち己が分内の事」は南宋の陸九淵の言葉として知られ、益軒は学派の違いにこだわらずこれを取っています。空間と時間のすべてを自分の事と思えば、学ぶ範囲に限りはありません。専門の外のことに好奇心を持ち続ける理由を、壮大な視点から与えてくれる一条です。
この章句が説くこと
宇宙博学分内理学問
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