慎思録 / 巻之二
文章之用有二焉。記事與論道而已矣。論道者本乎經也。記事者效于史也。古今文章雖無窮。其有用者。不過斯二者耳。斯二者。有用之文也。若徒事於巧麗。而無論道記事之用。便是無用閑言語。不足觀而已。
新字:文章之用有二焉。記事与論道而已矣。論道者本乎経也。記事者効于史也。古今文章雖無窮。其有用者。不過斯二者耳。斯二者。有用之文也。若徒事於巧麗。而無論道記事之用。便是無用閑言語。不足観而已。
書き下し
文章の用に二つ有り。記事と論道とのみ。論道は経に本づくなり。記事は史に効ふなり。古今の文章窮まり無しと雖も、其の用有る者は、斯の二者に過ぎざるのみ。斯の二者は、有用の文なり。若し徒に巧麗を事として、論道記事の用無ければ、便ち是れ無用の閑言語にして、観るに足らざるのみ。
現代語訳
文章の働きには二つあります。事実を記すことと道を論じることだけです。道を論じるものは経書にもとづき、事実を記すものは歴史書にならいます。古今の文章は限りなくありますが、役に立つものはこの二つにすぎません。この二つが有用の文です。もしただ巧みで美しいことばかりを事として、道を論じ事実を記す働きがなければ、それは無用のむだ話で、見るに足りません。
解説
文章の値打ちを、道を論じることと事実を記すことの二つに絞った条です。前条(二・六十)の史書論と対になり、経と史を文章の二つの源と見ています。朱子学では「文は道を載する所以なり」(周敦頤『通書』文辞篇)と、飾りだけの文を退けます。報告書や企画書、社内の文書でも、事実を正確に伝えるか、考えの筋を示すか、そのどちらかの役に立たない美辞麗句は読み手の時間を奪うだけです。書く前に、この文は何のためか、と問わせてくれます。
この章句が説くこと
文章論道記事経史実用
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