顔氏家訓 / 文章
夫文章者、原出五經:詔命策檄、生於書者也、序述論議、生於易者也、歌詠賦頌、生於詩者也、祭祀哀誄、生於禮者也、書奏箴銘、生於春秋者也。朝廷憲章、軍旅誓誥、敷顯仁義、發明功德、牧民建國、施用多途。至於陶冶性靈、從容諷諫、入其滋味、亦樂事也。行有餘力、則可習之。
新字:夫文章者、原出五経:詔命策檄、生於書者也、序述論議、生於易者也、歌詠賦頌、生於詩者也、祭祀哀誄、生於礼者也、書奏箴銘、生於春秋者也。朝廷憲章、軍旅誓誥、敷顕仁義、発明功徳、牧民建国、施用多途。至於陶冶性霊、従容諷諫、入其滋味、亦楽事也。行有余力、則可習之。
書き下し
夫れ文章なる者は、原と五経より出づ。詔命策檄は、書より生ずる者なり。序述論議は、易より生ずる者なり。歌詠賦頌は、詩より生ずる者なり。祭祀哀誄は、礼より生ずる者なり。書奏箴銘は、春秋より生ずる者なり。朝廷の憲章、軍旅の誓誥、仁義を敷き顕し、功徳を発明し、民を牧い国を建つ。施用は多途なり。性霊を陶冶し、従容として諷諫し、其の滋味に入るに至りては、亦た楽事なり。行いて余力有らば、則ち之を習うべし。
現代語訳
およそ文章というものは、もともと五経から出ている。詔勅や作戦の檄文は『書経』から生まれたものである。序文や論説は『易経』から生まれたものである。歌や賦や頌は『詩経』から生まれたものである。祭祀の文や哀悼の誄は『礼記』から生まれたものである。上奏文や箴言や銘は『春秋』から生まれたものである。朝廷の法令、軍の誓いや布告、仁義を広く示し、功績と徳を明らかにし、民を治め国を建てる。用い方は多岐にわたる。心を練り上げ、ゆったりと遠回しに諫め、その味わいに入り込むことに至っては、これも楽しみである。行うべきことをして余力があるなら、学んでよい。
解説
文章篇の冒頭で、文章の種類を五経に系統づけました。詔勅は書経から、論説は易経から、詩歌は詩経から、弔辞は礼記から、上奏は春秋から。文章を才能の発露ではなく、用途ごとの技術として整理しています。そして結びが厳しい。「行いて余力有らば、則ち之を習うべし」——為すべきことをやったうえで余力があれば習え。文章を第一の務めとは認めていません。この位置づけが、次の段から続く文人批判の前提になります。書く力は重要だが、それ自体が目的になると人を損なう。資料作成や発信が上手なことと、務めを果たすことの順序を、彼は最初に明示しています。
この章句が説くこと
文章は原と五経より出づ施用は多途行いて余力有らば順序
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