慎思録 / 巻之二
禹別九州。因高山大川之所限者。爲之區別而已。古昔本邦之別諸州者。大率暗合此法。循山川而爲限。故隔山踰川。而異其州。則民俗不同。言語亦殊。分州之迹。昭晰可見矣。然其間亦有不盡然者。蓋平壤相連接。叵爲區別。其界限不分明者多矣。疑是初分州者。拘乎郡縣之廣狹。不能以山川爲限歟。
新字:禹別九州。因高山大川之所限者。為之区別而已。古昔本邦之別諸州者。大率暗合此法。循山川而為限。故隔山踰川。而異其州。則民俗不同。言語亦殊。分州之迹。昭晰可見矣。然其間亦有不尽然者。蓋平壤相連接。叵為区別。其界限不分明者多矣。疑是初分州者。拘乎郡県之広狭。不能以山川為限歟。
書き下し
禹の九州を別つは、高山大川の限る所に因りて、之が区別を為すのみ。古昔本邦の諸州を別つ者も、大率ね暗に此の法に合ふ。山川に循ひて限りと為す。故に山を隔て川を踰ゆれば、其の州を異にし、則ち民俗同じからず、言語も亦た殊なり。分州の迹、昭晰として見るべし。然れども其の間亦た尽くは然らざる者有り。蓋し平壌相連接して、区別を為し叵く、其の界限分明ならざる者多し。疑ふらくは是れ初めて州を分つ者、郡県の広狭に拘りて、山川を以て限りと為すこと能はざるか。
現代語訳
禹が天下を九州に分けたのは、高い山や大きな川で区切られる所によって区別しただけです。昔わが国で諸国を分けたのも、おおむね知らず知らずこの方法に合っていて、山や川に沿って境としています。だから山を隔て川を越えれば国が異なり、民の風俗も同じでなく、言葉も違います。国を分けた跡は、はっきりと見ることができます。しかしその中には、すべてがそうではないものもあります。思うに平地が続いていて区別しにくく、その境がはっきりしないものが多いのです。おそらく初めて国を分けた者が、郡や県の広さ狭さにこだわって、山川を境にできなかったのでしょうか。
解説
『書経』禹貢篇の、禹が山川によって九州を分けたという記事と、日本の令制国の境を比べた条です。益軒は『筑前国続風土記』を編み、諸国を旅して地誌をよく知っていたので、山や川を越えると風俗や言葉が変わることを実感していました。自然の地形が人の暮らしや言葉を分けるという観察は、今の地理学や方言学にも通じます。境界は人の都合で引かれることもあり、それが実態と合わない所も生む、という指摘は、組織の部署の分け方にも当てはまります。
この章句が説くこと
地理観察禹貢風俗境界
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