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慎思録 / 巻之二

天下有本然之理。有當然之工夫。有自然之效。蓋有本然之理。則不可無當然之工夫。苟有當然之工夫。則自然之效。不求而自在其中矣。姑以事親一事言之。父母之於我。爲我之根本。且鞠育敎誨。有罔極之恩所當孝也。此爲本然之理。我事之之道。當竭其力。此爲當然之工夫。既孝。則父母喜之而慈愛亦益至矣。此爲自然之效。學者之所當用功。唯在當然之工夫而已。而本然之理。亦不可不知。若夫自然之效。以是考我之工夫之至與不至。則可也。苟有心於期待其效驗。則不可也。是謀利計功者。有爲而爲也。

新字:天下有本然之理。有当然之工夫。有自然之効。蓋有本然之理。則不可無当然之工夫。苟有当然之工夫。則自然之効。不求而自在其中矣。姑以事親一事言之。父母之於我。為我之根本。且鞠育教誨。有罔極之恩所当孝也。此為本然之理。我事之之道。当竭其力。此為当然之工夫。既孝。則父母喜之而慈愛亦益至矣。此為自然之効。学者之所当用功。唯在当然之工夫而已。而本然之理。亦不可不知。若夫自然之効。以是考我之工夫之至与不至。則可也。苟有心於期待其効験。則不可也。是謀利計功者。有為而為也。

書き下し

天下に本然の理有り、当然の工夫有り、自然の効有り。蓋し本然の理有れば、則ち当然の工夫無かるべからず。苟も当然の工夫有れば、則ち自然の効は、求めずして自ら其の中に在り。姑く事親の一事を以て之を言はん。父母の我に於けるや、我の根本為り。且つ鞠育教誨して、罔極の恩有り。当に孝すべき所なり。此れを本然の理と為す。我の之に事ふるの道は、当に其の力を竭くすべし。此れを当然の工夫と為す。既に孝なれば、則ち父母之を喜びて、慈愛も亦た益々至る。此れを自然の効と為す。学者の当に功を用ゐるべき所は、唯だ当然の工夫に在るのみ。而して本然の理も、亦た知らざるべからず。若し夫れ自然の効は、是を以て我の工夫の至ると至らざるとを考ふれば、則ち可なり。苟も其の効験を期待するに心有れば、則ち不可なり。是れ利を謀り功を計る者、為にする有りて為すなり。

現代語訳

天下には本然の理(もともとの道理)があり、当然の工夫(なすべき努力)があり、自然の効(おのずからの効果)があります。思うに本然の理があれば、当然の工夫がなくてはなりません。もし当然の工夫があれば、自然の効は求めなくてもおのずとその中にあります。ひとまず親に仕えることを例に言いましょう。父母は私にとって根本であり、しかも育て教えてくれた限りない恩があるので、孝行すべきです。これが本然の理です。私が親に仕える道は、力を尽くすべきです。これが当然の工夫です。孝行すれば、父母はそれを喜んで、慈しみもますます深くなります。これが自然の効です。学ぶ者が力を用いるべきなのは、ただ当然の工夫だけです。しかし本然の理も知らなくてはなりません。自然の効については、それによって自分の工夫が十分かどうかを考えるのはよいのです。しかしもしその効果を期待する心があれば、よくありません。それは利を謀り功を計算する者の、目的があってする行いです。

解説

理・工夫・効果の三つを区別し、力を注ぐべきは工夫だけで、効果を目当てにするなと説く条です。結びの「利を謀り功を計る」は、董仲舒の「其の誼を正して其の利を謀らず、其の道を明らかにして其の功を計らず」(『漢書』董仲舒伝)を踏まえ、「為にする有りて為す」は朱子学で私心による行いを言う言葉です。成果指標は自分の努力の確認には使ってよいが、それ自体を目的にすると行いが濁る、という考えは、目標管理に追われる今の働き方に深い示唆を与えます。

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