導師導古典を学びたいすべての人に

五常訓 / 巻之五・信

一信は說文曰、誠也从人从言會意。徐曰、於文人言爲信、言而不信非爲人也。信の字、人偏に言の字を書くは、六書においては、會意に屬す。偏旁の意を以て作りし字なり。いふ意は、人の言に誠あらざるは、人にあらず。故に人の言は、必信あるべしと云ふ意なり。五常においては、心にまことあるを云ふ。口に僞をいはざるも、其内にあり。仁義禮智の、いつはりなき眞實なるを、信と云ふ。信なければ、仁義禮智にあらず。仁義禮智四德の外に、又信あるにあらず。親によくつかふるは孝なれど、名聞のためにつとめ、又親の寵愛をねがひて務むるは、孝にあらず。君によく仕ふるは忠なれど、君の寵をねがひ、官祿をむさぼりて、奉公をつとむるは、忠にあらず。

新字:一信は説文曰、誠也从人从言会意。徐曰、於文人言為信、言而不信非為人也。信の字、人偏に言の字を書くは、六書においては、会意に属す。偏旁の意を以て作りし字なり。いふ意は、人の言に誠あらざるは、人にあらず。故に人の言は、必信あるべしと云ふ意なり。五常においては、心にまことあるを云ふ。口に偽をいはざるも、其内にあり。仁義礼智の、いつはりなき真実なるを、信と云ふ。信なければ、仁義礼智にあらず。仁義礼智四徳の外に、又信あるにあらず。親によくつかふるは孝なれど、名聞のためにつとめ、又親の寵愛をねがひて務むるは、孝にあらず。君によく仕ふるは忠なれど、君の寵をねがひ、官禄をむさぼりて、奉公をつとむるは、忠にあらず。

書き下し

一信は説文に曰く、誠なり、人に从ひ言に从ふ、会意。徐曰く、文に於て人の言を信と為す、言ひて信ならざれば人為るに非ざるなり。信の字、人偏に言の字を書くは、六書においては、会意に属す。偏旁の意を以て作りし字なり。いふ意は、人の言に誠あらざるは、人にあらず。故に人の言は、必信あるべしと云ふ意なり。五常においては、心にまことあるを云ふ。口に偽をいはざるも、其内にあり。仁義礼智の、いつはりなき真実なるを、信と云ふ。信なければ、仁義礼智にあらず。仁義礼智四徳の外に、又信あるにあらず。親によくつかふるは孝なれど、名聞のためにつとめ、又親の寵愛をねがひて務むるは、孝にあらず。君によく仕ふるは忠なれど、君の寵をねがひ、官禄をむさぼりて、奉公をつとむるは、忠にあらず。

現代語訳

信は、『説文』に「誠である。人に従い言に従う。会意」とあります。徐氏は「文字の上では人の言を信とする。言って信でなければ人ではない」と言いました。信の字が人偏に言の字を書くのは、六書では会意に属します。偏と旁の意味で作った字です。その意味は、人の言葉に誠がなければ人ではない、だから人の言葉には必ず信があるべきだ、ということです。五常においては、心に誠があることをいいます。口で偽りを言わないことも、その中に含まれます。仁義礼智の偽りのない真実なのを信といいます。信がなければ、仁義礼智ではありません。仁義礼智の四徳の外に、別に信があるのではありません。親によく仕えるのは孝ですが、名声のために努め、また親の寵愛を願って務めるのは孝ではありません。君によく仕えるのは忠ですが、君の寵を願い、官禄をむさぼって奉公を務めるのは忠ではありません。

解説

巻之五の後半は五常の最後の信です。益軒はまず『説文解字』と南唐の徐鍇の説を引き、信の字が人と言からなる会意文字で、人の言葉に誠がなければ人ではないという意味だと解きます。そして信は仁義礼智の外にある別の徳ではなく、四徳が偽りなく真実であることだと説きます。名声や寵愛を求める親孝行や、出世のための忠勤は、形は同じでも孝でも忠でもありません。何のためにするのかという動機の誠実さが、行いの価値を決めるということです。

この章句が説くこと

信誠説文孝忠

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る