洗心洞箚記 / 卷上・第百九條
不以父母之心爲心、則不可謂孝也、於何尤見之、於夫婦之事尤見之、內則曰、子甚宜其妻、父母不說、出、子不宜其妻、父母曰是善事我、子行夫婦之禮焉、沒身不衰、非以父母之心爲心者、孰能眞爲之哉、吾弟子今有此家厄、敎喩以斯義、幸而聽曰、行其禮焉、沒身不衰、嗚呼、實踐其言、則庶幾焉、故記之以示及門之人、
新字:不以父母之心為心、則不可謂孝也、於何尤見之、於夫婦之事尤見之、内則曰、子甚宜其妻、父母不説、出、子不宜其妻、父母曰是善事我、子行夫婦之礼焉、没身不衰、非以父母之心為心者、孰能真為之哉、吾弟子今有此家厄、教喩以斯義、幸而聴曰、行其礼焉、没身不衰、嗚呼、実践其言、則庶幾焉、故記之以示及門之人、
書き下し
父母の心を以て心と為さずんば、則ち孝と謂ふべからざるなり。何に於てか尤も之を見る。夫婦の事に於て尤も之を見る。内則に曰く、子甚だ其の妻を宜しとするも、父母説ばざれば、出す。子其の妻を宜しとせざるも、父母是れ善く我に事ふと曰へば、子夫婦の礼を行ひて、身を没するまで衰へず、と。父母の心を以て心と為す者に非ずんば、孰か能く真に之を為さんや。吾が弟子今此の家厄有り、教喩するに斯の義を以てす。幸ひにして聴きて曰く、其の礼を行ひて、身を没するまで衰へざらん、と。嗚呼、実に其の言を践まば、則ち庶幾からん。故に之を記して以て門に及ぶの人に示す。
現代語訳
父母の心をわが心としなければ、孝とは言えない。それはどこで最もよく分かるか。夫婦のことで最もよく分かる。『礼記』内則篇に言う。「子がその妻をたいへん気に入っていても、父母が喜ばなければ離縁する。子がその妻を気に入っていなくても、父母が『この嫁はよく私たちに仕えてくれる』と言えば、子は夫婦の礼を行って、生涯怠らない。」父母の心をわが心とする者でなければ、誰が本当にこれをなしえようか。私の門人にいまこの家の難儀があり、この意味を教え諭した。幸いに聞き入れて、「その礼を行って、生涯怠りません」と言った。ああ、本当にその言葉を実践すれば、孝に近いだろう。だからこれを記して門下の人々に示す。
解説
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