慎思録 / 巻之二
方孝孺曰。樂未既。而憂繼之者。人之欲也。是天下之至言。人須常思此言。而忍其欲。便當不祇悔。學者須於此處不少放過。小心翼翼。常可令敬勝怠義勝欲。庶幾爲學得力。而有進矣。吾人於德行。常不得進益者。由於此處放過而不用心也。
新字:方孝孺曰。楽未既。而憂継之者。人之欲也。是天下之至言。人須常思此言。而忍其欲。便当不祇悔。学者須於此処不少放過。小心翼翼。常可令敬勝怠義勝欲。庶幾為学得力。而有進矣。吾人於徳行。常不得進益者。由於此処放過而不用心也。
書き下し
方孝孺曰く、楽しみ未だ既きずして、憂ひ之に継ぐ者は、人の欲なり、と。是れ天下の至言なり。人須らく常に此の言を思ひて、其の欲を忍ぶべし。便ち当に祇だ悔いざるべし。学者須らく此の処に於て少しも放過せず、小心翼翼として、常に敬をして怠に勝ち義をして欲に勝たしむべし。庶幾はくは学を為すに力を得て、進むこと有らん。吾人の徳行に於て、常に進益を得ざる者は、此の処に於て放過して心を用ゐざるに由るなり。
現代語訳
方孝孺は「楽しみがまだ尽きないうちに、憂いがそれに続くのは、人の欲である」と言いました。これは天下の至言です。人はいつもこの言葉を思って、その欲を忍ぶべきです。そうすれば悔いに至ることはないでしょう。学ぶ者はこの所で少しも見逃さず、細心に慎んで、いつも敬が怠りに勝ち、義が欲に勝つようにすべきです。そうすれば学問に力を得て、進むことがあるでしょう。私どもが徳行において、いつも進歩できないのは、この所を見逃して心を用いないからです。
解説
欲に従った楽しみは、尽きる前に憂いを連れてくる、という明初の儒者方孝孺の言葉を引いた条です。「敬怠に勝ち、義欲に勝つ」は『大戴礼記』武王践阼篇に見える丹書の言葉、「小心翼翼」は『詩経』大雅・大明の言葉です。飲みすぎた翌朝、買いすぎた後の後悔など、日々の小さな場面にも当てはまります。徳が進まないのは大きな失敗のせいではなく、小さな所を見逃すからだ、という指摘は、習慣を変えたい人への具体的な助言になります。
この章句が説くこと
欲敬義忍戒め
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