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慎思録 / 巻之二

人心之所以爲靈者。因有仁義也。譬如穀種有生性。則可以爲貴。苟無生性。則可爲秕。不可爲種也。人若不以仁義存心。則雖有智覺。非所可貴也。孟子曰。人之所以異於禽獸者幾希。庶民去之。君子存之。夫君子小人之心。皆有智覺。而以仁義之存亡。而君子小人別矣。孟子說求放心者。亦是求仁心而巳。若夫方外之徒。捨仁義而求心。譬如買櫝而還珠然。

新字:人心之所以為霊者。因有仁義也。譬如穀種有生性。則可以為貴。苟無生性。則可為秕。不可為種也。人若不以仁義存心。則雖有智覚。非所可貴也。孟子曰。人之所以異於禽獣者幾希。庶民去之。君子存之。夫君子小人之心。皆有智覚。而以仁義之存亡。而君子小人別矣。孟子説求放心者。亦是求仁心而巳。若夫方外之徒。捨仁義而求心。譬如買櫝而還珠然。

書き下し

人心の霊為る所以の者は、仁義有るに因るなり。譬へば穀種に生性有れば、則ち以て貴しと為すべし。苟も生性無ければ、則ち秕と為すべく、種と為すべからざるが如し。人若し仁義を以て心に存せざれば、則ち智覚有りと雖も、貴ぶべき所に非ざるなり。孟子曰く、人の禽獣に異なる所以の者は幾ど希なり。庶民は之を去り、君子は之を存す、と。夫れ君子小人の心、皆智覚有り。而して仁義の存亡を以て、君子小人別る。孟子の放心を求むと説く者も、亦た是れ仁心を求むるのみ。若し夫れ方外の徒、仁義を捨てて心を求むるは、譬へば櫝を買ひて珠を還すが如く然り。

現代語訳

人の心が霊妙である理由は、仁義があるからです。たとえば穀物の種は、芽を出す力があれば貴いものとされますが、もし芽を出す力がなければ、しいなであって種にはなりません。人がもし仁義を心に保たなければ、知覚があっても、貴ぶべきものではありません。孟子は「人が禽獣と異なる所はほんのわずかである。庶民はそれを失い、君子はそれを保つ」と言いました。そもそも君子も小人も、心にはみな知覚があります。仁義があるかないかで、君子と小人が分かれるのです。孟子が「放たれた心を求める」と説いたのも、仁の心を求めることにほかなりません。世俗の外の者(仏教や道家の徒)が仁義を捨てて心を求めるのは、箱を買って中の珠を返すようなものです。

解説

心の尊さは知覚にではなく仁義にある、と説く条です。「人の禽獣に異なる所以の者幾ど希なり」は『孟子』離婁下、「放心を求む」は告子上の言葉で、「櫝を買ひて珠を還す」は『韓非子』外儲説左上の故事です。種子の生きる力のたとえは本草学者の益軒らしいものです。仏教や道家が心の修養を仁義抜きに説くことへの朱子学からの批判でもあります。頭の良さや知識がいくらあっても、人を思う心がなければ貴くない、という指摘は今も変わりません。

この章句が説くこと

仁義君子放心異端

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