慎思録 / 巻之二
天地既闢之後。五行之生也。水火最先。木金次之。土在最後。然而水火寓土。金木亦資土而生。則土似最可在水火金木之先。且土即地也。與天之倶在焉。不待水火金木之生而後生。然其序却在四者之後。何也。竊謂。水之査滓。火之灰燼。木金之陳腐。皆歸乎土。則須在最後。非以地爲生于水火木金之後也。愚見如此。或曰。水火木金。皆資土而生焉。猶五常之信在後。故土却退在水火木金之後。二說俟君子之訂正而已耳。
新字:天地既闢之後。五行之生也。水火最先。木金次之。土在最後。然而水火寓土。金木亦資土而生。則土似最可在水火金木之先。且土即地也。与天之倶在焉。不待水火金木之生而後生。然其序却在四者之後。何也。窃謂。水之査滓。火之灰燼。木金之陳腐。皆帰乎土。則須在最後。非以地為生于水火木金之後也。愚見如此。或曰。水火木金。皆資土而生焉。猶五常之信在後。故土却退在水火木金之後。二説俟君子之訂正而已耳。
書き下し
天地既に闢けて後、五行の生ずるや、水火最も先にし、木金之に次ぎ、土最後に在り。然り而して水火は土に寓し、金木も亦た土に資りて生ず。則ち土は最も水火金木の先に在るべきに似たり。且つ土は即ち地なり。天と倶に在り。水火金木の生ずるを待ちて後に生ぜず。然るに其の序却って四者の後に在るは、何ぞや。窃かに謂ふ、水の査滓、火の灰燼、木金の陳腐、皆土に帰す。則ち須らく最後に在るべし。地を以て水火木金の後に生ずと為すに非ざるなり。愚見此くの如し。或ひと曰く、水火木金は、皆土に資りて生ず。猶ほ五常の信の後に在るがごとし。故に土却って水火木金の後に退き在り、と。二説は君子の訂正を俟つのみ。
現代語訳
天地が開けた後、五行が生じる順は、水と火が最も先で、木と金がそれに次ぎ、土が最後です。しかし水と火は土に宿り、金と木もまた土によって生じます。そうであれば土は水火金木より先にあるべきように思えます。しかも土は地のことで、天とともに存在しています。水火金木が生じるのを待って後に生じたのではありません。それなのにその順序がかえって四つの後にあるのはなぜでしょうか。私が思うに、水のかす、火の灰、木や金の朽ちたものは、みな土に帰ります。だから最後にあるべきなのです。地が水火木金の後に生じたという意味ではありません。私の見解はこのとおりです。ある人は「水火木金はみな土によって生じる。五常の信が最後にあるようなものだ。だから土はかえって水火木金の後に退いているのだ」と言います。二つの説は、君子の訂正を待つばかりです。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・應務・理を推して是れ視る時勢を以て理を低昂する者は、眾人なり。理を以て時勢を低昂する者は、賢人なり。理を推して是れ視、低昂する所無き者は、聖人なり。
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『呻吟語』外篇・品藻・惟だ其の理のみ勢の為す可からずして猶ほ之を為す者有るは、惟だ其の理のみ。此を知らば則ち三仁は五臣と事功を比す可く、孔子は堯・舜と政治を較ぶ可し。
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『呻吟語』内篇・談道・勢は帝王の權、理は聖人の權公卿朝に爭議するに、天子に命有りと曰へば、則ち屏然として敢へて屈直せず。師儒學に相辯ずるに、孔子に言有りと曰へば、則ち寂然として敢へて異同せず。故に天地の間、惟だ理と勢とを最尊と為す。然りと雖も、理は又尊の尊なり。廟堂の上に理を言へば、則ち天子も勢を以て相奪ふを得ず。即し相奪ふとも、理は則ち常に天下萬世に伸ぶ。故に勢は、帝王の權なり。理は、聖人の權なり。帝王に聖人の理無くんば、則ち其の權時有りて屈す。然らば則ち理なる者は、又勢の恃みて以て存亡を為す所なり。莫大の權を以て僭竊の禁無し。此れ儒者の辭せずして敢へて斯道の南面に任ずる所以なり。
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段曰く、汝は理を直ちに命と云ふ、是大いに誤れり。理は玉の理なり。又総て物の理なれば、通るまでのことにて死物なり。命は、書経にも、惟れ命は常に于てせずと云へり。天の降せる命なれば、活物の性なり。斯くのごとく別なり。然るを、死活を以て一致とするは如何なることぞ。