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慎思録 / 巻之二

聖人之敎。以主忠信爲本。所謂思誠者。人之道也。以居敬爲主忠信之工夫。苟不以忠信爲主。徒以敬爲一心之主宰。是以工夫爲心之主。恐偏于敬。而流爲束縛强持之病也。甚則色執仁。而行違者有之。夫敬者。古來聖賢傳授之心法。然近世之持敬者。爲一副當之病。學者須知居敬之方。而後持敬。

新字:聖人之教。以主忠信為本。所謂思誠者。人之道也。以居敬為主忠信之工夫。苟不以忠信為主。徒以敬為一心之主宰。是以工夫為心之主。恐偏于敬。而流為束縛強持之病也。甚則色執仁。而行違者有之。夫敬者。古来聖賢伝授之心法。然近世之持敬者。為一副当之病。学者須知居敬之方。而後持敬。

書き下し

聖人の教へは、忠信を主とするを以て本と為す。所謂之を誠にせんと思ふ者は、人の道なり。居敬を以て忠信を主とするの工夫と為す。苟も忠信を以て主と為さずして、徒に敬を以て一心の主宰と為さば、是れ工夫を以て心の主と為すなり。恐らくは敬に偏りて、流れて束縛強持の病と為らん。甚だしきは色仁を執りて、行ひ違ふ者之有り。夫れ敬は古来聖賢伝授の心法なり。然るに近世の持敬者は、一副当の病と為る。学者須らく居敬の方を知りて、而る後に持敬すべし。

現代語訳

聖人の教えは、忠信(まごころと誠実)を主とすることを根本とします。いわゆる「これを誠にしようと思うのは人の道である」というものです。居敬(つつしみを保つこと)は、忠信を主とするための工夫です。もし忠信を主とせずに、ただ敬を心の主宰としてしまえば、工夫を心の主にすることになります。おそらく敬に偏って、窮屈にしばりつけ無理に保つ病に流れるでしょう。ひどい場合には、顔つきは仁を装いながら行いがそむく者も出てきます。そもそも敬は、昔から聖賢が伝えてきた心の法です。しかし近ごろの敬を保とうとする人々は、型にはまった病になっています。学ぶ者はまず居敬の正しい方法を知ってから、敬を保つべきです。

解説

朱子学で重んじられる「敬」を、忠信のための手段と位置づけ直した条です。「忠信を主とす」は『論語』学而篇、「之を誠にせんと思ふ者は人の道なり」は『孟子』離婁上、「色仁を取りて行ひ違ふ」は『論語』顔淵篇の言葉です。当時、敬を強調するあまり窮屈で形式的になる学風があり、益軒はそれを「一副当の病」と呼んで戒めました。手段が目的になると人は形だけ整えて中身を失う、という指摘は、規則や手続きに縛られがちな組織にもよく当てはまります。

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