慎思録 / 巻之二
自反者。行有不得。反求諸己。不責人而責己之謂。躬自厚。而薄責於人。見其過。而內自訟者也。葢能自反者。無怨尤。不動聲色。而人易從。且易感。是修己接人之要道也。
新字:自反者。行有不得。反求諸己。不責人而責己之謂。躬自厚。而薄責於人。見其過。而内自訟者也。葢能自反者。無怨尤。不動声色。而人易従。且易感。是修己接人之要道也。
書き下し
自反とは、行ひて得ざること有れば、反りて諸を己に求め、人を責めずして己を責むるの謂なり。躬自ら厚くして、薄く人を責め、其の過ちを見て、内に自ら訟むる者なり。蓋し能く自反する者は、怨尤無し。声色を動かさずして、人従ひ易く、且つ感じ易し。是れ己を修め人に接するの要道なり。
現代語訳
「自反」とは、行ってもうまくいかないことがあれば、振り返って自分自身に原因を求め、人を責めずに自分を責めることをいいます。自分には厚く責め、人には薄く責め、自分の過ちを見て、心の中で自らを責める者のことです。思うに、よく自反できる人には、人への恨みも天への咎めもありません。声を荒げたり顔色を変えたりしなくても、人は従いやすく、しかも心を動かされやすいのです。これが自分を修め人に接する大切な道です。
解説
「自反」の意味を、古典の言葉をつないで定義した条です。「行ひて得ざる者有れば、皆反りて諸を己に求む」は『孟子』離婁上、「躬自ら厚くして薄く人を責む」は『論語』衛霊公篇、「過ちを見て内に自ら訟む」は公冶長篇の言葉です。うまくいかないとき、まず自分に原因を探す人は、怒らなくても人がついてくる、という指摘は、リーダーの在り方として今も通用します。他責にしがちな場面で、まず自分に問いを向ける習慣を勧めています。
この章句が説くこと
自反修身責己寛容接人
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『慎思録』巻之一自ら賢とし自ら是とする者は、行ひて得ざること有るも、反りて己に求むることを知らず、唯人を責むるを務むるのみ。是れ小人の情状なり。故に曰く、己を責めて人を責めざる者は、君子なり。人を責めて己を責めざる者は、小人なりと。豈に啻だ君子小人の由りて分かるる所のみならんや。国の興亡治乱と雖も、亦此に繋る。左伝に臧文仲曰く、禹湯は己を罪す、其の興るや勃焉たり。桀紂は人を罪す、其の亡ぶるや忽焉たりと。
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