慎思録 / 巻之六
吾夫子以文行忠信爲敎。且屢言主忠信。葢學問之道。學文以明道。力行以爲善。主忠信以立誠。此三者。不可闕一。葢非文行。則不能窮理爲善。非忠信。則文行亦不得進益。皆虛妄而已。葢人道只在忠信。不忠信無立德之基。故易曰。忠信所以進德也。雖鄕里之常人。苟無忠信。則不可立乎世。况君子之道乎。此故君子誠之爲貴。
新字:吾夫子以文行忠信為教。且屡言主忠信。葢学問之道。学文以明道。力行以為善。主忠信以立誠。此三者。不可闕一。葢非文行。則不能窮理為善。非忠信。則文行亦不得進益。皆虚妄而已。葢人道只在忠信。不忠信無立徳之基。故易曰。忠信所以進徳也。雖郷里之常人。苟無忠信。則不可立乎世。況君子之道乎。此故君子誠之為貴。
書き下し
吾が夫子は文行忠信を以て教へと為し、且つ屢忠信を主とすることを言ふ。蓋し学問の道は、文を学びて以て道を明らかにし、力行して以て善を為し、忠信を主として以て誠を立つ。此の三者、一を闕くべからず。蓋し文行に非ずば、則ち理を窮め善を為すこと能はず。忠信に非ずば、則ち文行も亦進益を得ず、皆虚妄なるのみ。蓋し人道は只忠信に在り。忠信ならずば徳を立つるの基無し。故に易に曰く、忠信は徳に進む所以なりと。郷里の常人と雖も、苟も忠信無くば、則ち世に立つべからず。況んや君子の道をや。此の故に君子は之を誠にするを貴しと為す。
現代語訳
わが孔子は文・行・忠・信を教えとし、またしばしば「忠信を主とせよ」と言いました。思うに学問の道は、文を学んで道を明らかにし、力行して善を行い、忠信を主として誠を立てることです。この三つは一つも欠いてはいけません。文と行がなければ、理を窮め善を行うことはできません。忠信がなければ、文と行も進歩せず、みな偽りにすぎません。思うに人の道はただ忠信にあります。忠信でなければ徳を立てる基がありません。だから『易経』に「忠信は徳に進むゆえんである」とあります。村里の普通の人でも、忠信がなければ世に立つことはできません。まして君子の道はなおさらです。だから君子は、これを誠にすることを貴いとするのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之二聖人の教へは、忠信を主とするを以て本と為す。所謂之を誠にせんと思ふ者は、人の道なり。居敬を以て忠信を主とするの工夫と為す。苟も忠信を以て主と為さずして、徒に敬を以て一心の主宰と為さば、是れ工夫を以て心の主と為すなり。恐らくは敬に偏りて、流れて束縛強持の病と為らん。甚だしきは色仁を執りて、行ひ違ふ者之有り。夫れ敬は古来聖賢伝授の心法なり。然るに近世の持敬者は、一副当の病と為る。学者須らく居敬の方を知りて、而る後に持敬すべし。
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『囲炉夜話』第百五十四則・生資の高きは忠信に在り生資の高きは忠信に在り、機巧に關はるに非ず。學業の美は德行に於いてし、僅かに文章のみならず。
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『慎思録』巻之三孟子曰く、仁義忠信、善を楽しみて倦まず、と。蓋し仁義は便ち善なり。忠信は善を為すに誠なり。苟も善を為さんと欲するも、之を楽しみて倦まざるに非ざれば、則ち久しくして失はざる能はざるなり。善を楽しみて倦まざる者は、是れ善を為すに誠なるなり。
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『慎思録』巻之一学を為すの道は、仁を為すを以て本と為し、忠信を以て主と為し、孝弟を以て先と為し、博文約礼を以て勤めと為し、君子為るを以て志と為す。是れ孔門人を教ふるの規模なり。仁なる者は何ぞや。是れ善を為すの総称、慈愛の理なり。孟子、放心を求むるを以て学問の道と為す。放心を求むる者は、乃ち仁を求むるなり。
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『慎思録』巻之二記に云ふ、説を勦ること毋かれ、と。蓋し他人の説を攬り取りて、以て己が説と為す、之を勦説と謂ふ。夫れ他人の財を窃むすら、猶ほ之を盗と謂ふ。然るを況んや他人の美を掠め取りて、以て己が美と為すをや。賤しむべきの甚だしきなり。先輩長者に好んで人の言を取りて之を用ゐる者有り、人に告げて曰く、惟れ吾が謀に非ず、誰某の説なり、と。是れ言を取るの法と為すべし。然るに近世中華の才子も、亦た往々にして前輩の説を攬り取りて、以て己が説と為す者有り。其の志懾し。近世の薄俗、本邦の人も、往々にして亦た此くの如し。恥を知らざるの甚だしきなり。
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論語・学而篇子曰く、「君子重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ、過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。」