童子問 / 卷上
問。宋儒以敬爲主。今以忠信爲主。何哉。曰。學問全在誠實。故曰。主忠信。主字與賓字對。言學者不可不專以忠信爲主也。苟主忠信。則其言動制行。雖平淡無味。然內實有可取焉。專持敬者。特事矜持。外面齊整。故見之。則儼然儒者矣。然察於其內。則誠意或不給。守己甚堅。責人甚深。種種病痛故在。其弊有不可勝言者焉。故不如主忠信之功夫爲切實也。
新字:問。宋儒以敬為主。今以忠信為主。何哉。曰。学問全在誠実。故曰。主忠信。主字与賓字対。言学者不可不専以忠信為主也。苟主忠信。則其言動制行。雖平淡無味。然内実有可取焉。専持敬者。特事矜持。外面斉整。故見之。則儼然儒者矣。然察於其内。則誠意或不給。守己甚堅。責人甚深。種種病痛故在。其弊有不可勝言者焉。故不如主忠信之功夫為切実也。
書き下し
問ふ、宋儒は敬を以て主と為す。今忠信を以て主と為すは、何ぞや。曰く、学問は全く誠実に在り。故に曰く、忠信を主とすと。主の字は賓の字と対す。学者専ら忠信を以て主と為さざるべからざるを言ふなり。苟も忠信を主とせば、則ち其の言動制行、平淡無味なりと雖も、然れども内に実に取るべき有り。専ら敬を持する者は、特に矜持を事とし、外面斉整す。故に之を見れば則ち儼然たる儒者なり。然れども其の内を察すれば、則ち誠意或いは給らず。己を守ること甚だ堅く、人を責むること甚だ深く、種種の病痛故のごとく在り。其の弊勝げて言ふべからざる者有り。故に忠信を主とするの功夫の切実為るに如かざるなり。
現代語訳
問う。宋儒は敬を主とする。いま(先生が)忠信を主とされるのはなぜか。答える。学問は全く誠実にある。だから「忠信を主とせよ」と言うのである。「主」の字は「賓(客)」の字と対になる。学ぶ者はもっぱら忠信を主としなければならないことを言っているのである。もし忠信を主とすれば、その言動や行いは平淡で味わいがないようでも、内に実に取るべきものがある。もっぱら敬を保つ者は、ことさらに身を引き締めることに努め、外面をきちんと整える。だからこれを見れば、いかにも厳かな儒者である。しかしその内面を察すれば、誠意が足りないことがある。自分を守ることは非常に固く、人を責めることは非常に厳しく、さまざまな病根が元のまま残っている。その弊害は言い尽くせないほどである。だから忠信を主とする工夫が切実であることには及ばないのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之二聖人の教へは、忠信を主とするを以て本と為す。所謂之を誠にせんと思ふ者は、人の道なり。居敬を以て忠信を主とするの工夫と為す。苟も忠信を以て主と為さずして、徒に敬を以て一心の主宰と為さば、是れ工夫を以て心の主と為すなり。恐らくは敬に偏りて、流れて束縛強持の病と為らん。甚だしきは色仁を執りて、行ひ違ふ者之有り。夫れ敬は古来聖賢伝授の心法なり。然るに近世の持敬者は、一副当の病と為る。学者須らく居敬の方を知りて、而る後に持敬すべし。
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『慎思録』巻之六吾が夫子は文行忠信を以て教へと為し、且つ屢忠信を主とすることを言ふ。蓋し学問の道は、文を学びて以て道を明らかにし、力行して以て善を為し、忠信を主として以て誠を立つ。此の三者、一を闕くべからず。蓋し文行に非ずば、則ち理を窮め善を為すこと能はず。忠信に非ずば、則ち文行も亦進益を得ず、皆虚妄なるのみ。蓋し人道は只忠信に在り。忠信ならずば徳を立つるの基無し。故に易に曰く、忠信は徳に進む所以なりと。郷里の常人と雖も、苟も忠信無くば、則ち世に立つべからず。況んや君子の道をや。此の故に君子は之を誠にするを貴しと為す。
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『童子問』卷上問ふ、忠信を主とせば、則ち敬を用ふるを要せざるか。曰く、否。夫子曰く、「言は忠信、行ひは篤敬」と。又曰く、「居処は恭、事を執りては敬、人に与りては忠」と。敬も亦聖学功を用ふるの一事にして、具に成訓有り。那ぞ廃すべけんや。蓋し聖人の人を教ふる、其の工夫条目、固より一端に非ず。衆功兼ね挙げて、而る後に能く其の徳を成すことを得。猶ほ医の疾を療するに、薬に君臣佐使有り、方に七方十剤有りて、衆薬兼ね該へて、而る後に以て病を差すべきがごとし。故に或いは曰く、知仁勇と。或いは曰く、忠信篤敬と。或いは曰く、恭寛信敏恵と。或いは曰く、忠信を主とし、義に徙ると。事に因りて教へを設け、人に対して方を示す。豈に徒に一事を守りて、徳を成すことを得べけんや。然れども其の忠信に於けるや、猶ほ薬中の甘草有るがごとく、得て闕くべからず。許多の功夫有りと雖も、然れども此を以て之が主と為さざるべからざるのみ。宋儒の所謂持敬と云ふ者は、古人の事に就きて敬を致す者と、其の意既に異なり、而して亦忠信を以て主と為すことを要せず、却つて徒に一の敬の字を以て学問の始終を該ねんと欲す。猶ほ単方を以て百病を治せんと欲するがごとし。其の人を誤らざる者は、未だ之有らざるなり。
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論語・衛霊公篇子張、行を問う。子曰く、「言忠信、行篤敬なれば、蛮貊の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならずんば、州里と雖も行われんや。立てば、則ち其の前に参するを見るなり。輿に在れば、則ち其の衡に倚るを見るなり。夫れ然る後に行われん。」子張、諸を紳に書す。
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『慎思録』巻之一後世の学者の敬を持するや、色荘拘執を以て勤めと為し、自ら以て持敬の工夫と為す。然れども慈愛温恭忠信好善を以て勤めと為す者は鮮し。故に其の行ふ所、己に矜り人を責め、刻薄不仁にして、誹謗を好み、己に反りて自ら厚くすること能はず。外を務めて忠信を主とせざるに由るなり。苟も忠信を主とせざれば、則ち其の敬を主とする者は真に非ず。此れ色荘の人と為すべきなり。
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『五常訓』巻之五・信賢人以下は、天道聖人の如くならざれども、つとめて此誠を行ふは、是人の力を用ひて行ふ理なれば、人の道なりといへり。誠にあらざれば、天道人道共にたたず。故に孔子も、主忠信とのたまふ。忠信は人の誠、誠之者人の道といへる、是なり。程子も、人道は唯忠信にあり。誠ならざれば物なしといへり。又古語に、五常百行、誠に非ざれば非なり。其実なければ、此名なし。忠信は、即人の誠なり。程子も、己を尽くす之を忠と謂ひ、実を以てする之を信と謂ふといへり。心をつくして残さざるを忠とし、言と行とに実を用ひて、いつはらざるを信と云ふ。心にある誠を忠とし、言行にあらはれたる誠を信と云ふ。
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