論語 / 衛霊公篇
子張問行。子曰:「言忠信,行篤敬,雖蠻貊之邦行矣。言不忠信,行不篤敬,雖州里行乎哉?立,則見其參於前也;在輿,則見其倚於衡也。夫然後行。」子張書諸紳。
新字:子張問行。子曰:「言忠信,行篤敬,雖蠻貊之邦行矣。言不忠信,行不篤敬,雖州里行乎哉?立,則見其参於前也;在輿,則見其倚於衡也。夫然後行。」子張書諸紳。
書き下し
子張、行を問う。子曰く、「言忠信、行篤敬なれば、蛮貊の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならずんば、州里と雖も行われんや。立てば、則ち其の前に参するを見るなり。輿に在れば、則ち其の衡に倚るを見るなり。夫れ然る後に行われん。」子張、諸を紳に書す。
現代語訳
子張が、自分の行いが世に通ることについて尋ねた。先生はおっしゃった。「言葉が真心と誠実にかない、行いが篤実で慎み深ければ、未開の国であっても通用する。言葉が真心と誠実にかなわず、行いが篤実でも慎み深くもなければ、故郷の里でさえ通用するだろうか。立っているときは、その二つが目の前に並んでいるのを見るようにし、車に乗っているときは、それが車の横木に寄りかかっているのを見るようにする。そうして初めて通用するのだ。」子張はこれを自分の帯に書きつけた。
解説
忠信と篤敬。この二つがあれば異国でも通り、無ければ地元でも通らない。通用する範囲は、能力や人脈ではなく、この二つで決まるという主張である。さらに孔子は、その二つを常に目の前に見えるようにせよと言った。立っているときも、車に乗っているときも。抽象的な心構えを、視覚的な習慣に落としている。子張がそれを帯に書きつけたのも同じ発想だ。忘れないための工夫を、身につけるものに施した。原則は覚えても使わない。使うためには、視界に入り続ける必要がある。手帳に書く、机に貼る、名刺入れに挟む。方法は何でもよいが、頭の中に置いただけの原則は、忙しい日に真っ先に消える。
この章句が説くこと
忠信忠信篤敬通用敬普遍習慣化
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