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五常訓 / 巻之五・信

賢人以下は、天道聖人の如くならざれども、つとめて此誠を行ふは、是人の力を用ひて行ふ理なれば、人の道なりといへり。誠にあらざれば、天道人道共にたゝず。故に孔子も、主忠信とのたまふ。忠信は人の誠、誠之者人の道といへる、是なり。程子も、人道は唯忠信にあり。誠ならざれば物なしといへり。又古語に、五常百行非誠非也。其實なければ、此名なし。忠信は、卽人の誠なり。程子も、盡己之謂忠、以實之謂信といへり。心をつくして殘さざるを忠とし、言と行とに實を用ひて、いつはらざるを信と云ふ。心にある誠を忠とし、言行にあらはれたる誠を信と云ふ。

新字:賢人以下は、天道聖人の如くならざれども、つとめて此誠を行ふは、是人の力を用ひて行ふ理なれば、人の道なりといへり。誠にあらざれば、天道人道共にたゝず。故に孔子も、主忠信とのたまふ。忠信は人の誠、誠之者人の道といへる、是なり。程子も、人道は唯忠信にあり。誠ならざれば物なしといへり。又古語に、五常百行非誠非也。其実なければ、此名なし。忠信は、即人の誠なり。程子も、尽己之謂忠、以実之謂信といへり。心をつくして残さざるを忠とし、言と行とに実を用ひて、いつはらざるを信と云ふ。心にある誠を忠とし、言行にあらはれたる誠を信と云ふ。

書き下し

賢人以下は、天道聖人の如くならざれども、つとめて此誠を行ふは、是人の力を用ひて行ふ理なれば、人の道なりといへり。誠にあらざれば、天道人道共にたたず。故に孔子も、主忠信とのたまふ。忠信は人の誠、誠之者人の道といへる、是なり。程子も、人道は唯忠信にあり。誠ならざれば物なしといへり。又古語に、五常百行、誠に非ざれば非なり。其実なければ、此名なし。忠信は、即人の誠なり。程子も、己を尽くす之を忠と謂ひ、実を以てする之を信と謂ふといへり。心をつくして残さざるを忠とし、言と行とに実を用ひて、いつはらざるを信と云ふ。心にある誠を忠とし、言行にあらはれたる誠を信と云ふ。

現代語訳

賢人以下は、天の道や聖人のようではないけれども、努めてこの誠を行うのは、人の力を用いて行う理なので、人の道だというのです。誠でなければ、天の道も人の道もともに立ちません。それで孔子も「忠信を主とせよ」と言われました。忠信は人の誠であり、「これを誠にするのは人の道」というのは、このことです。程子も「人の道はただ忠信にある。誠でなければ物はない」と言いました。また古語に「五常百行も、誠でなければ非である」とあります。その実がなければ、その名はありません。忠信はすなわち人の誠です。程子も「己を尽くすのを忠といい、実をもってするのを信という」と言いました。心を尽くして残さないのを忠とし、言葉と行いに実を用いて偽らないのを信といいます。心にある誠を忠とし、言行に表れた誠を信というのです。

解説

論語学而篇の「忠信を主とす」、程子の「己を尽くす之を忠と謂ひ、実を以てする之を信と謂ふ」を引き、忠と信の違いを整理しています。心の中の誠が忠で、それが言葉や行いに表れたものが信です。五常も百の善行も誠がなければ名ばかりだという古語もあわせて、誠を人の道の根本に据えます。心の中で真剣であることと、それを言葉と行動で示すことは、どちらが欠けても信頼につながりません。内面と外面の両方で誠実であれ、という整理は明快です。

この章句が説くこと

忠信誠論語程子言行

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