童子問 / 卷上
問。主忠信。則不要用敬乎。曰否。夫子曰。言忠信行篤敬。又曰。居處恭。執事敬。與人忠。敬者亦聖學用功之一事。具有成訓。那可廢乎。葢聖人之敎人。其工夫條目。固非一端。衆功兼擧。而後得能成其德。猶醫之療疾。藥有君臣佐使。方有七方十劑。衆藥兼該。而後可以差病也。故或曰。知仁勇。或曰。忠信篤敬。或曰。恭寛信敏惠。或曰。主忠信。徙義。因事設敎。對人示方。豈可徒守一事。而得成德乎哉。然其於忠信。猶藥中之有甘艸。不可得而闕焉。雖有許多功夫。然不可不以此爲之主焉耳。宋儒所謂持敬云者。與古人就事致敬者。其意既異。而亦不要以忠信爲主。而郤徒欲以一敬字該學問之始終。猶欲以單方治百病。其不誤人者。未之有也。
新字:問。主忠信。則不要用敬乎。曰否。夫子曰。言忠信行篤敬。又曰。居処恭。執事敬。与人忠。敬者亦聖学用功之一事。具有成訓。那可廃乎。葢聖人之教人。其工夫条目。固非一端。衆功兼挙。而後得能成其徳。猶医之療疾。薬有君臣佐使。方有七方十剤。衆薬兼該。而後可以差病也。故或曰。知仁勇。或曰。忠信篤敬。或曰。恭寛信敏恵。或曰。主忠信。徙義。因事設教。対人示方。豈可徒守一事。而得成徳乎哉。然其於忠信。猶薬中之有甘艸。不可得而闕焉。雖有許多功夫。然不可不以此為之主焉耳。宋儒所謂持敬云者。与古人就事致敬者。其意既異。而亦不要以忠信為主。而郤徒欲以一敬字該学問之始終。猶欲以単方治百病。其不誤人者。未之有也。
書き下し
問ふ、忠信を主とせば、則ち敬を用ふるを要せざるか。曰く、否。夫子曰く、「言は忠信、行ひは篤敬」と。又曰く、「居処は恭、事を執りては敬、人に与りては忠」と。敬も亦聖学功を用ふるの一事にして、具に成訓有り。那ぞ廃すべけんや。蓋し聖人の人を教ふる、其の工夫条目、固より一端に非ず。衆功兼ね挙げて、而る後に能く其の徳を成すことを得。猶ほ医の疾を療するに、薬に君臣佐使有り、方に七方十剤有りて、衆薬兼ね該へて、而る後に以て病を差すべきがごとし。故に或いは曰く、知仁勇と。或いは曰く、忠信篤敬と。或いは曰く、恭寛信敏恵と。或いは曰く、忠信を主とし、義に徙ると。事に因りて教へを設け、人に対して方を示す。豈に徒に一事を守りて、徳を成すことを得べけんや。然れども其の忠信に於けるや、猶ほ薬中の甘草有るがごとく、得て闕くべからず。許多の功夫有りと雖も、然れども此を以て之が主と為さざるべからざるのみ。宋儒の所謂持敬と云ふ者は、古人の事に就きて敬を致す者と、其の意既に異なり、而して亦忠信を以て主と為すことを要せず、却つて徒に一の敬の字を以て学問の始終を該ねんと欲す。猶ほ単方を以て百病を治せんと欲するがごとし。其の人を誤らざる者は、未だ之有らざるなり。
現代語訳
問う。忠信を主とするなら、敬を用いる必要はないのか。答える。そうではない。孔子は「言葉は誠実で信義あり、行いは篤実で慎み深く」と言い、また「ふだんの居住まいは恭しく、仕事に当たっては慎み深く、人と交わっては誠実に」と言った。敬もまた聖人の学で工夫を用いる一つの事柄であり、はっきりとした教えがある。どうして廃してよかろうか。思うに、聖人が人を教えるとき、その工夫の項目はもとより一つではない。さまざまな工夫を兼ね行って、はじめてその徳を成し遂げることができる。ちょうど医者が病を治すのに、薬には君・臣・佐・使の役割があり、処方には七方十剤があって、多くの薬を兼ね備えてはじめて病を治せるようなものである。だから、あるときは知・仁・勇と言い、あるときは忠信・篤敬と言い、あるときは恭・寛・信・敏・恵と言い、あるときは忠信を主とし義に移ると言った。事柄に応じて教えを設け、人に応じて処方を示したのである。どうしてただ一つの事を守るだけで徳を成し遂げられようか。とはいえ、忠信については、薬の中に甘草があるように、欠くことができない。多くの工夫があるとしても、これを主としなければならないのである。宋儒のいう持敬というものは、古人が事柄に即して慎みを尽くしたのとは、その意味がすでに異なっている。そのうえ忠信を主とすることを求めず、かえってただ一つの「敬」の字で学問の始めから終わりまでを包み込もうとする。それは一つの薬だけであらゆる病を治そうとするようなものである。それで人を誤らせなかった例はない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・衛霊公篇子張、行を問う。子曰く、「言忠信、行篤敬なれば、蛮貊の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならずんば、州里と雖も行われんや。立てば、則ち其の前に参するを見るなり。輿に在れば、則ち其の衡に倚るを見るなり。夫れ然る後に行われん。」子張、諸を紳に書す。
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『童子問』卷上問ふ、宋儒は敬を以て主と為す。今忠信を以て主と為すは、何ぞや。曰く、学問は全く誠実に在り。故に曰く、忠信を主とすと。主の字は賓の字と対す。学者専ら忠信を以て主と為さざるべからざるを言ふなり。苟も忠信を主とせば、則ち其の言動制行、平淡無味なりと雖も、然れども内に実に取るべき有り。専ら敬を持する者は、特に矜持を事とし、外面斉整す。故に之を見れば則ち儼然たる儒者なり。然れども其の内を察すれば、則ち誠意或いは給らず。己を守ること甚だ堅く、人を責むること甚だ深く、種種の病痛故のごとく在り。其の弊勝げて言ふべからざる者有り。故に忠信を主とするの功夫の切実為るに如かざるなり。
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『慎思録』巻之二聖人の教へは、忠信を主とするを以て本と為す。所謂之を誠にせんと思ふ者は、人の道なり。居敬を以て忠信を主とするの工夫と為す。苟も忠信を以て主と為さずして、徒に敬を以て一心の主宰と為さば、是れ工夫を以て心の主と為すなり。恐らくは敬に偏りて、流れて束縛強持の病と為らん。甚だしきは色仁を執りて、行ひ違ふ者之有り。夫れ敬は古来聖賢伝授の心法なり。然るに近世の持敬者は、一副当の病と為る。学者須らく居敬の方を知りて、而る後に持敬すべし。
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『慎思録』巻之一後世の学者の敬を持するや、色荘拘執を以て勤めと為し、自ら以て持敬の工夫と為す。然れども慈愛温恭忠信好善を以て勤めと為す者は鮮し。故に其の行ふ所、己に矜り人を責め、刻薄不仁にして、誹謗を好み、己に反りて自ら厚くすること能はず。外を務めて忠信を主とせざるに由るなり。苟も忠信を主とせざれば、則ち其の敬を主とする者は真に非ず。此れ色荘の人と為すべきなり。
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『童子問』卷上問ふ、忠信は固より美徳たり。然れども信を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊なり。則ち又未だ必ずしも蔽無からず。曰く、然り。語に曰く、「信、義に近ければ、言復むべし」と。孟子曰く、「大人は、言必ずしも信ならず、行ひ必ずしも果ならず、唯義の在る所のままにす」と。蓋し徒に信を好みて義に合はざれば、必ず道を害す。然れども十分に通徹し、必ず忠に必ず信にして、而る後に以て此の言を為すべし。若し内に忠信を尽くさず、少しの疎漏有れば、則ち先づ義を併せて之を失ふ。何の学問か之有らん。蓋し物に接するの間、欺かず詐らず、十分真実にして、堅く執りて回らざる、忠信の謂なり。千変万化、機に臨みて宜しきを制し、取捨失はざる、義の功なり。忠信は万事の根本、義は学問の大用なり。故に学者は当に忠信を以て基と為して、義以て之を制すべし。故に曰く、「忠信を主とし義に従ふは、徳を崇くするなり」と。夫子も亦嘗て曰く、「十室の邑、必ず忠信丘が如き者有らん。丘の学を好むに如かざるなり」と。忠信は固より美徳たり、然れども学びて以て之を成さざれば、則ち善と為すに足らざるを言ふなり。此れ亦学者の当に慮りを弾くすべき所なり。
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『春秋左氏伝』昭公十二年 易は険を占わず元は、善の長なり。中忠ならざれば、其の色を得ず。下共ならざれば、其の飾りを得ず。事善ならざれば、其の極を得ず。外内倡和するを忠と為し、事を率ゐるに信を以ってするを共と為し、三德を供養するを善と為す。此の三者に非ざれば當たらず。且つ夫れ易は、以って險を占ふべからず。將に何事をかせんとする。且つ飾るべけんや。中美にして能く黃、上美にして元為り、下美なれば則ち裳。參成りて筮すべし。猶ほ闕くる有らば、筮吉なりと雖も、未だし」と。將に費に適かんとし、鄉人に酒を飲ましむ。鄉人或いは之を謌ひて曰く、「我に圃有り、之に杞を生ぜんか。我に從ふ者は子か。我を去る者は鄙か。其の鄰に倍く者は恥か。已みなんか已みなんか。吾が黨の士に非ざるか」と。平子昭子をして叔仲小を逐はしめんと欲す。小之を聞き、敢へて朝せず。昭子吏に命じて小に謂はしむ、朝に政を待て、と。曰く、「吾は怨府と為らず」と。
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