呻吟語 / 内篇・修身・時時自ら反れば才德進まざるの理無し
學者事事要自責,慎無責人。人不可我意,自是我無量; 我不可人意,自是我無能。時時自反,才德無不進之理。
新字:学者事事要自責,慎無責人。人不可我意,自是我無量; 我不可人意,自是我無能。時時自反,才徳無不進之理。
書き下し
學者は事事自ら責むるを要す、慎みて人を責むる無かれ。人我が意に可ならざるは、自ら是れ我に量無きなり。我人の意に可ならざるは、自ら是れ我に能無きなり。時時自ら反らば、才德進まざるの理無し。
現代語訳
学ぶ者は一つ一つの事について自分を責めるべきで、慎んで人を責めてはいけません。人が自分の意に沿わないのは、自分に度量が無いからです。自分が人の意に沿わないのは、自分に能が無いからです。常に自分に立ち返れば、才も徳も進まないはずがありません。
解説
人間関係の不一致を、どちらの向きでも自分の側の不足として受け取ります。相手が気に入らないなら度量の不足、自分が気に入られないなら能の不足。逃げ場を完全に塞いだ構えです。修身篇を締めくくるにふさわしい一段で、時時自ら反るという言葉に、この篇に並んできた戒めがすべて集まっています。どちらの向きでも自分に返す、逃げ場の無い構えです。
この章句が説くこと
自責度量能反省向上
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・應務・量は六合の隘きを嫌ふ量は六合の隘きを嫌ひ、身は五岳を負ふも輕し。
-
説苑・尊賢斉の桓公庭燎を設け、士の造り見えんと欲する者の為にす。期年にして士至らず。是に於いて東野の鄙人に九九の術を以て見えんとする者有り。桓公曰く、「九九何ぞ以て見ゆるに足らんや」と。鄙人対えて曰く、「臣九九を以て見ゆるに足れりと為すに非ず、臣聞く、主君庭燎を設けて以て士を待つも、期年にして士至らずと。夫れ士の至らざる所以の者は、君は天下の賢君なり、四方の士、皆自ら論ずるに君に及ばずと以て、故に至らざるなり。夫れ九九は薄能のみなるに、而れども君猶お之を礼す、況んや九九より賢れる者をや。夫れ太山は壌石を辞せず、江海は小流を逆えず、大を成す所以なり」と。詩に云う、「先民言える有り、芻蕘に詢う」と。博く謀ることを言うなり。桓公善しと曰いて、乃ち因りて之を礼す。期月にして四方の士、相携えて並び至る。詩に曰く、「堂より基に徂き、羊より牛に徂く」と。内を以て外に及び、小を以て大に及ぶことを言うなり。
-
『呻吟語』内篇・應務・一葉の滄海に泛ぶが如し聖賢の量は空闊なり。事の胸中に到るは一葉の滄海に泛ぶが如し。
-
『呻吟語』内篇・應務・度量寬弘なれば受用の處有り世間に一處として拂意の事無きは無く、一日として拂意の事無きは無し。椎だ度量寬弘なれば受用の處有り。彼の局量褊淺なる者は空しく自ら懊恨するのみ。
-
牧民忠告・事長夫れ天下を能くする者は、其の志必ず高く、其の至る所必ず遠し。昔某郡に新守有り、褊驁(へんごう)にして大いに其の下を礼せず、常に掾属(えんぞく)をして庭下に羅拝(らはい)せしむ。一賢掾有り、初め疾を以て告に在り、疾愈(い)えて当に庭参すべし。是の日偶(たま)たま大雨あり、守は傘を張り茅(かや)を庭下に布(し)かしめ、掾をして拝せしむ、掾恬然(てんぜん)として容(かたち)を動かさず、興伏(こうふく)惟(こ)れ謹めり。識者其の他日必ず宰相と為るを知るなり、後果たして然り。
-
尚書・秦誓如し一介の臣有りて、斷斷猗として他の技無く、其の心休休焉として、其れ容るる有るが如くんば。