慎思録 / 巻之二
程子曰。爲人處世間。得見事無可疑處。多少快活。愚謂。君子之學。博覽廣聞。以究理爲務。故積累久。而貫通于天地萬物之道理。則俛仰於宇宙之間。而事物悉至無可疑。不樂復何如。此君子之心。所以多少快活也。
新字:程子曰。為人処世間。得見事無可疑処。多少快活。愚謂。君子之学。博覧広聞。以究理為務。故積累久。而貫通于天地万物之道理。則俛仰於宇宙之間。而事物悉至無可疑。不楽復何如。此君子之心。所以多少快活也。
書き下し
程子曰く、人と為りて世間に処し、事の疑ふべき処無きを見得れば、多少の快活ぞ、と。愚謂ふ、君子の学は、博覧広聞し、理を究むるを以て務めと為す。故に積累久しくして、天地万物の道理に貫通すれば、則ち宇宙の間に俛仰して、事物悉く疑ふべき無きに至る。楽しまずして復た如何。此れ君子の心の、多少快活なる所以なり。
現代語訳
程子は「人として世の中に暮らし、物事に疑わしい所がないと見通せたら、どれほど快いことだろう」と言いました。私が思うに、君子の学問は、広く見聞きして、理を究めることを務めとします。だから積み重ねが長くなり、天地万物の道理に貫き通れば、宇宙の間を見上げ見下ろして、物事がことごとく疑わしいところのない境地に至ります。これを楽しまずにどうしましょう。これが君子の心がどれほど快活であるかというわけです。
解説
学問の目的を、理を究めて物事に疑いがなくなる「快活」の境地に置いた条です。程子の言葉は『二程遺書』に見えます。朱子の『大学章句』格物補伝が言う「豁然として貫通す」と同じ境地で、学ぶことを苦行ではなく楽しみとして描くところが益軒らしい点です。仕事でも、わからないことを放置せず一つずつ調べていくと、やがて全体がつながって見え、迷いが減る瞬間があります。知ることの喜びを思い出させる一条です。
この章句が説くこと
究理学問快活貫通楽
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