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慎思録 / 巻之二

女子與小人。聖人以爲難養也。况衆人養之者。豈可不用其心乎哉。如婦女之性。亦或有聰慧易曉事者。然而率於義理太蔽昧。雖敎之諄諄。不能通曉。故其所昏塞。雖敎戒丁寧。而不能省悟。徒勞我心志。增彼忿怨而已。易所謂夫妻反目。不能正室也。然而其過惡之大。而害義者。固不可不督責。若夫小過。非甚害理者。可强忍陰默而不言。是不勞我之心思。不生彼之怨恚。而家道雍睦之道也。古諺曰。不癡不聾。不作家翁。此言信有理哉。君子之對女子與小人。亦當如此。

新字:女子与小人。聖人以為難養也。況衆人養之者。豈可不用其心乎哉。如婦女之性。亦或有聰慧易暁事者。然而率於義理太蔽昧。雖教之諄諄。不能通暁。故其所昏塞。雖教戒丁寧。而不能省悟。徒労我心志。增彼忿怨而已。易所謂夫妻反目。不能正室也。然而其過悪之大。而害義者。固不可不督責。若夫小過。非甚害理者。可強忍陰黙而不言。是不労我之心思。不生彼之怨恚。而家道雍睦之道也。古諺曰。不痴不聾。不作家翁。此言信有理哉。君子之対女子与小人。亦当如此。

書き下し

女子と小人とは、聖人以て養ひ難しと為す。況んや衆人の之を養ふ者、豈に其の心を用ゐざるべけんや。婦女の性の如きは、亦た或いは聡慧にして事を暁り易き者有り。然れども率ね義理に於て太だ蔽昧なり。之を教ふること諄々たりと雖も、通暁すること能はず。故に其の昏塞する所は、教戒丁寧なりと雖も、省悟すること能はず。徒に我が心志を労して、彼の忿怨を増すのみ。易に所謂夫妻目を反し、室を正すこと能はざるなり。然れども其の過悪の大にして義を害する者は、固より督責せざるべからず。若し夫れ小過の甚だしくは理を害せざる者は、強ひて忍びて陰默して言はざるべし。是れ我の心思を労せず、彼の怨恚を生ぜずして、家道雍睦の道なり。古諺に曰く、癡ならず聾ならざれば、家翁と作らず、と。此の言信に理有るかな。君子の女子と小人とに対するも、亦た当に此くの如くすべし。

現代語訳

「女子と小人とは養いにくい」と孔子は言いました。まして普通の人がこれを養うのに、心を用いずにいられましょうか。婦人の性質にも、聡明で物事をわかりやすい人がいます。しかしおおむね義理についてはたいへん暗いものです。ねんごろに教えても、理解することができません。だからその塞がっている所は、丁寧に教え戒めても悟ることができず、むだに自分の心を疲れさせ、相手の怒りと恨みを増すだけです。『易経』にいう「夫婦が目をそむけ合い、家を正すことができない」というものです。しかし、その過ちや悪が大きく義を損なうものは、もちろん正し責めなければなりません。小さな過ちで理をひどく損なわないものは、無理にでも忍んで黙って言わずにおくべきです。そうすれば自分の心を疲れさせず、相手の恨みも生まず、家が和やかに睦まじくなる道です。古いことわざに「愚かにならず耳が遠くならなければ、家の主人は務まらない」とあります。この言葉はまことに理があります。君子が女子や小人に対するのも、このようにすべきです。

解説

冒頭は『論語』陽貨篇の「唯だ女子と小人とは養ひ難しと為す」、「夫妻反目」は『易経』小畜卦の爻辞、「不癡不聾、不作家翁」は『資治通鑑』などに見える唐の代宗の言葉です。女性を義理に暗いとする見方は江戸時代の身分や男女観そのままで、今の目からは受け入れられません。ただ、大きな過ちは正し、小さな過ちは見て見ぬふりをする、という家庭や組織を和ませる知恵は、相手が誰であっても使えるでしょう。時代の限界と、今も生きる知恵とを分けて読みたい一条です。

この章句が説くこと

家道寛容過失

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