慎思録 / 巻之二
周禮大司徒註曰。同師曰朋。同志曰友。愚謂。是朋友之別。一書作同門曰朋。亦同意。或朋與友通用者。亦多矣。古人甚重朋友之誼。亞于兄弟。今人於朋友。情甚疎薄。且無信義之相保。因茲增見得逐時風俗澆漓。
新字:周礼大司徒註曰。同師曰朋。同志曰友。愚謂。是朋友之別。一書作同門曰朋。亦同意。或朋与友通用者。亦多矣。古人甚重朋友之誼。亜于兄弟。今人於朋友。情甚疎薄。且無信義之相保。因茲增見得逐時風俗澆漓。
書き下し
周礼大司徒の註に曰く、師を同じくするを朋と曰ひ、志を同じくするを友と曰ふ、と。愚謂ふ、是れ朋友の別なり。一書には門を同じくするを朋と曰ふと作す。亦た同意なり。或いは朋と友と通用する者も、亦た多し。古人は甚だ朋友の誼を重んじ、兄弟に亜ぐ。今人は朋友に於て、情甚だ疎薄にして、且つ信義の相保つこと無し。茲に因りて増々時を逐ひて風俗の澆漓なるを見得たり。
現代語訳
『周礼』大司徒の注に「師を同じくするのを朋といい、志を同じくするのを友という」とあります。私が思うに、これが朋と友の区別です。ある書では「門を同じくするのを朋という」としています。これも同じ意味です。あるいは朋と友を通じて用いることも多くあります。昔の人は朋友の情誼をたいへん重んじ、兄弟に次ぐものとしました。今の人は朋友に対して情がはなはだ薄く、しかも信義を互いに守ることがありません。このことから、時代を追うごとに風俗が薄っぺらになっていくのが、ますます見て取れます。
解説
「朋」と「友」の字義の違いから、朋友の道の衰えを嘆いた条です。「同師を朋と曰ひ、同志を友と曰ふ」は『周礼』地官大司徒の鄭玄注に見える古い定義です。朋友は五倫の一つで、『孟子』滕文公上に「朋友に信有り」とあります。益軒が兄弟に次ぐと言うほど重んじた友との関係は、今でいえば同じ師に学んだ仲間や、同じ志を持つ同僚にあたるでしょう。忙しさにまぎれて疎遠になりがちな縁を、信義をもって保つことの大切さを思い出させます。
この章句が説くこと
朋友信義五倫風俗
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