五常訓 / 巻之五・信
一有子曰、信近於義、言可復也。いふ意は、人に約して、其言をたがへじと思はゞ、初約せんとする時、其人のいへること、義か不義かをかへりみるべし。義にかなはゞ、約すべし。義にそむかば、約すべからず。かくの如くすれば、其約違はずして、言ふむべし。言をふむとは、約したる言をふまへて、首尾ちがはざるなり。是信を失はざる道なり。老子曰輕諾者、必寡信。いふ意は、かろがろしく請ごへば、後に其事なしがたくて、約にたがふ事あり。故に信すくなしと也。はじめ約せんとする時、つつしみ思案して、後をはかるべし。故に古人は然諾を愼むとて、人の云ひかけたる事を、かろがろしくうけあはずして、約をおもくす。其事義にあたりて行ふべく、又後日に其約ちがふまじき事ならば、うけごひて約し、必約を變ずべからず。
新字:一有子曰、信近於義、言可復也。いふ意は、人に約して、其言をたがへじと思はゞ、初約せんとする時、其人のいへること、義か不義かをかへりみるべし。義にかなはゞ、約すべし。義にそむかば、約すべからず。かくの如くすれば、其約違はずして、言ふむべし。言をふむとは、約したる言をふまへて、首尾ちがはざるなり。是信を失はざる道なり。老子曰軽諾者、必寡信。いふ意は、かろがろしく請ごへば、後に其事なしがたくて、約にたがふ事あり。故に信すくなしと也。はじめ約せんとする時、つつしみ思案して、後をはかるべし。故に古人は然諾を慎むとて、人の云ひかけたる事を、かろがろしくうけあはずして、約をおもくす。其事義にあたりて行ふべく、又後日に其約ちがふまじき事ならば、うけごひて約し、必約を変ずべからず。
書き下し
一有子曰く、信義に近ければ、言復むべし。いふ意は、人に約して、其言をたがへじと思はば、初約せんとする時、其人のいへること、義か不義かをかへりみるべし。義にかなはば、約すべし。義にそむかば、約すべからず。かくの如くすれば、其約違はずして、言ふむべし。言をふむとは、約したる言をふまへて、首尾ちがはざるなり。是信を失はざる道なり。老子曰く、軽く諾する者は、必ず信寡し。いふ意は、かろがろしく請ごへば、後に其事なしがたくて、約にたがふ事あり。故に信すくなしと也。はじめ約せんとする時、つつしみ思案して、後をはかるべし。故に古人は然諾を慎むとて、人の云ひかけたる事を、かろがろしくうけあはずして、約をおもくす。其事義にあたりて行ふべく、又後日に其約ちがふまじき事ならば、うけごひて約し、必約を変ずべからず。
現代語訳
有子は「約束が義に近ければ、その言葉は実行できる」と言いました。その意味は、人と約束して、その言葉をたがえまいと思うなら、初めに約束しようとするとき、相手の言うことが義か不義かを顧みるべきだということです。義にかなうなら約束すべきです。義に背くなら約束してはいけません。このようにすれば、その約束はたがわず、言葉を実行できます。言葉を践むとは、約束した言葉をふまえて、首尾がたがわないことです。これが信を失わない道です。老子は「軽々しく承諾する者は、必ず信が少ない」と言いました。その意味は、軽々しく引き受けると、後でその事がしがたくなって約束にたがうことがある、だから信が少ないというのです。初めに約束しようとするときに、慎んで思案し、後のことをはかるべきです。それで古人は然諾を慎むと言って、人が言いかけたことを軽々しく引き受けず、約束を重んじました。その事が義に当たって行うべきであり、また後日にその約束がたがうことがないことなら、引き受けて約束し、必ず約束を変えてはいけません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・学而篇有子曰く、「信義に近ければ、言復む可きなり。恭礼に近ければ、恥辱に遠ざかるなり。因りて其の親を失わざれば、亦宗とす可きなり。」
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『五常訓』巻之五・信若かろがろしくうけ合ひて、後日に其義にあたらざれば、約を守りがたくして、前言いつはりとなり、信をうしなふ。一たび言ひかはし約束したる事をちがへて、其首尾あはず、いつはりとなるは、是恥づべき事甚し。人にあらずと思ふべし。若あやまりて、義にあはざる事をうけあはば、其不義と不信との軽重を考へて、宜にしたがふべし。いにしへ、尾生と云ふ者、人と約して、其所にまつに、大水出来れども、約したる所を去らで、つひにおぼれ死す。是小信にかかはりて、身を失ふ。愚と云ふべし。又身をすてても、信を守るべき事あり。時宜によるべし。孟子曰く、大人は、言必ずしも信ならず、惟義の在る所のみ。大人は大徳ある人なり。言に信を期せず、唯義をかんがへ行ひて、自ら信を失はずとなり。
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『大和俗訓』巻之五・言語一人と約をなさば、必其信をかたく守るべし。一度約したる事をたがへば、人にあらずと思ふべし。若其契約義にかなはざる事か、又力の及びがたき事にて、後に約を守りがたからんと思はば、かねて約をなすべからず。かるがるしくうけあへば、其約たがふ。つつしむべし。論語に、信、義に近ければ、言復むべきなりといへり。人と約束したる事、首尾ちがはざるやうにせんと思はば、約する事義理にかなへば、うけ合ひたる言のごとく行ひとげられて、いつはりなくして首尾相違せずとなり。
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『五常訓』巻之四・義一子曰く、君子は義以て質と為し、礼以て之を行ひ、孫以て之を出し、信以て之を成す、君子なるかな。云ふ意は君子の事を行ふは、義を以てした地とすべし。義は事を制する本なれば也。万の事を行ふに、まづ義か不義かをかへり見るべし。義にあらずんば、行ふべからず。義に合はば行ふべし。是義を以てしたぢとする也。其上は、礼を以てすべ、よく行ひ、孫を以てへりくだりて、人にたかぶらず、信を以て、始終真実に行ふべし。是君子の行なり。然れども義なければ、其事の主なし。故に礼孫信の三そなはりても、非義なれば見るに足らず。尚書に、以義制事といへるも、此意なり。
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『慎思録』巻之二周礼大司徒の註に曰く、師を同じくするを朋と曰ひ、志を同じくするを友と曰ふ、と。愚謂ふ、是れ朋友の別なり。一書には門を同じくするを朋と曰ふと作す。亦た同意なり。或いは朋と友と通用する者も、亦た多し。古人は甚だ朋友の誼を重んじ、兄弟に亜ぐ。今人は朋友に於て、情甚だ疎薄にして、且つ信義の相保つこと無し。茲に因りて増々時を逐ひて風俗の澆漓なるを見得たり。
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司馬法・仁本天下既に平らぎ、天子大いに愷(がい)し、春は蒐(しゅう)し秋は獮(せん)す。諸侯は春に旅を振い、秋に兵を治む。戦を忘れざる所以なり。古は、奔るを逐うこと百歩を過ぎず、綏(すい)を縦(お)うこと三舎を過ぎず、是を以て其の礼を明らかにす。不能を窮めずして傷病を哀憐す、是を以て其の義を明らかにす。列を成して皷(こ)す、是を以て其の信を明らかにす。
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