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五常訓 / 巻之五・信

若かろがろしくうけ合ひて、後日に其義にあたらざれば、約を守りがたくして、前言いつはりとなり、信をうしなふ。一たび言ひかはし約束したる事をちがへて、其首尾あはず、いつはりとなるは、是恥づべき事甚し。人にあらずと思ふべし。若あやまりて、義にあはざる事をうけあはゞ、其不義と不信との輕重を考へて、宜にしたがふべし。いにしへ、尾生と云ふ者、人と約して、其所にまつに、大水出來れども、約したる所を去らで、つひにおぼれ死す。是小信にかゝはりて、身を失ふ。愚と云ふべし。又身をすてても、信を守るべき事あり。時宜によるべし。孟子曰、大人者、言不必信、惟義所在。大人は大德ある人なり。言に信を期せず、唯義をかんがへ行ひて、自ら信を失はずとなり。

新字:若かろがろしくうけ合ひて、後日に其義にあたらざれば、約を守りがたくして、前言いつはりとなり、信をうしなふ。一たび言ひかはし約束したる事をちがへて、其首尾あはず、いつはりとなるは、是恥づべき事甚し。人にあらずと思ふべし。若あやまりて、義にあはざる事をうけあはゞ、其不義と不信との軽重を考へて、宜にしたがふべし。いにしへ、尾生と云ふ者、人と約して、其所にまつに、大水出来れども、約したる所を去らで、つひにおぼれ死す。是小信にかゝはりて、身を失ふ。愚と云ふべし。又身をすてても、信を守るべき事あり。時宜によるべし。孟子曰、大人者、言不必信、惟義所在。大人は大徳ある人なり。言に信を期せず、唯義をかんがへ行ひて、自ら信を失はずとなり。

書き下し

若かろがろしくうけ合ひて、後日に其義にあたらざれば、約を守りがたくして、前言いつはりとなり、信をうしなふ。一たび言ひかはし約束したる事をちがへて、其首尾あはず、いつはりとなるは、是恥づべき事甚し。人にあらずと思ふべし。若あやまりて、義にあはざる事をうけあはば、其不義と不信との軽重を考へて、宜にしたがふべし。いにしへ、尾生と云ふ者、人と約して、其所にまつに、大水出来れども、約したる所を去らで、つひにおぼれ死す。是小信にかかはりて、身を失ふ。愚と云ふべし。又身をすてても、信を守るべき事あり。時宜によるべし。孟子曰く、大人は、言必ずしも信ならず、惟義の在る所のみ。大人は大徳ある人なり。言に信を期せず、唯義をかんがへ行ひて、自ら信を失はずとなり。

現代語訳

もし軽々しく引き受けて、後日その事が義に当たらなければ、約束を守ることが難しくなって、前の言葉は偽りとなり、信を失います。一度言い交わし約束したことをたがえて、その首尾が合わず偽りとなるのは、恥ずべきことのはなはだしいものです。人ではないと思うべきです。もし誤って義に合わないことを引き受けたなら、その不義と不信との軽重を考えて、宜しきに従うべきです。昔、尾生という者が人と約束してその場所で待っていたところ、大水が出ても約束した場所を去らず、ついに溺れ死にました。これは小さな信にこだわって身を失ったのです。愚かというべきです。また身を捨てても信を守るべきこともあります。時宜によるべきです。孟子は「大人は言葉が必ずしも信でなくてよい。ただ義のあるところに従う」と言われました。大人とは大徳のある人です。言葉の信を期さず、ただ義を考えて行い、おのずから信を失わないということです。

解説

一度した約束を破ることは恥ずべきことですが、誤って義に合わない約束をしてしまったときは、不義と不信の重さを比べて判断せよと益軒は言います。橋の下で女を待ち続けて溺れた尾生の話は『荘子』盗跖篇などに見え、小さな信にこだわって身を失う愚かさの例です。孟子離婁下篇の「大人は言必ずしも信ならず、惟義の在る所」を引き、大切なのは言葉の字面ではなく義だと結びます。約束の形式にこだわるあまり本来の目的を損なわないための、柔軟な考え方です。

この章句が説くこと

信義孟子約束判断

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