弁名 / 忠信
信者。謂言必有徵也。世多以言無欺詐解之。苟以言必有徵爲心。則無欺詐不足道。如信近於義言可復也。是其言雖有徵。必欲合先王之義。若言不合義。則雖欲踐其言亦有不可得者。其究終至無徵也。朱子引約信曰誓而訓信爲約。是不知其解已。又如民無信不立。謂民信其上也。愼其號令。不敢欺民。則民信之矣。然信之而畏。不如信之而懷。故必能爲民父母。而後民信之至焉。
新字:信者。謂言必有徴也。世多以言無欺詐解之。苟以言必有徴為心。則無欺詐不足道。如信近於義言可復也。是其言雖有徴。必欲合先王之義。若言不合義。則雖欲践其言亦有不可得者。其究終至無徴也。朱子引約信曰誓而訓信為約。是不知其解已。又如民無信不立。謂民信其上也。慎其号令。不敢欺民。則民信之矣。然信之而畏。不如信之而懐。故必能為民父母。而後民信之至焉。
書き下し
信とは、言必ず徴有るを謂ふなり。世多く言に欺詐無きを以て之を解す。苟も言必ず徴有るを以て心と為せば、則ち欺詐無きは道ふに足らず。「信は義に近ければ、言復むべし」の如き、是れ其の言徴有りと雖も、必ず先王の義に合はんと欲す。若し言義に合はずんば、則ち其の言を践まんと欲すと雖も亦た得べからざる者有り。其の究め終に徴無きに至るなり。朱子は「約信を誓と曰ふ」を引きて、信を訓じて約と為す。是れ其の解を知らざるのみ。又「民信無くんば立たず」の如きは、民の其の上を信ずるを謂ふなり。其の号令を慎み、敢へて民を欺かざれば、則ち民之を信ず。然れども之を信じて畏るるは、之を信じて懐くに如かず。故に必ず能く民の父母と為りて、而る後に民の信ずること至る。
現代語訳
信とは、言葉に必ず裏づけ(実証)があることをいう。世の多くは「言葉に偽りがないこと」と解釈する。しかし言葉に必ず裏づけがあることを心がけるなら、偽りがないことなど言うまでもない。「約束が義に近ければ、その言葉は実行できる」というのは、言葉に裏づけがあっても、必ず先王の義にかなうようにしたいということである。もし言葉が義にかなわなければ、その言葉を実行しようとしてもできないことがあり、結局は裏づけがなくなってしまう。朱子は「約束して信とするのを誓という」を引いて、信を「約束」と訓じたが、これは正しい解釈を知らないのである。また「民に信がなければ立ちゆかない」というのは、民がその上に立つ者を信じることをいう。号令を慎み、民を欺かなければ、民はこれを信じる。しかし信じて畏れるのは、信じて慕うのに及ばない。だから必ず民の父母となってこそ、民の信頼は極まるのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・学而篇有子曰く、「信義に近ければ、言復む可きなり。恭礼に近ければ、恥辱に遠ざかるなり。因りて其の親を失わざれば、亦宗とす可きなり。」
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『大和俗訓』巻之五・言語一人と約をなさば、必其信をかたく守るべし。一度約したる事をたがへば、人にあらずと思ふべし。若其契約義にかなはざる事か、又力の及びがたき事にて、後に約を守りがたからんと思はば、かねて約をなすべからず。かるがるしくうけあへば、其約たがふ。つつしむべし。論語に、信、義に近ければ、言復むべきなりといへり。人と約束したる事、首尾ちがはざるやうにせんと思はば、約する事義理にかなへば、うけ合ひたる言のごとく行ひとげられて、いつはりなくして首尾相違せずとなり。
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『五常訓』巻之五・信若かろがろしくうけ合ひて、後日に其義にあたらざれば、約を守りがたくして、前言いつはりとなり、信をうしなふ。一たび言ひかはし約束したる事をちがへて、其首尾あはず、いつはりとなるは、是恥づべき事甚し。人にあらずと思ふべし。若あやまりて、義にあはざる事をうけあはば、其不義と不信との軽重を考へて、宜にしたがふべし。いにしへ、尾生と云ふ者、人と約して、其所にまつに、大水出来れども、約したる所を去らで、つひにおぼれ死す。是小信にかかはりて、身を失ふ。愚と云ふべし。又身をすてても、信を守るべき事あり。時宜によるべし。孟子曰く、大人は、言必ずしも信ならず、惟義の在る所のみ。大人は大徳ある人なり。言に信を期せず、唯義をかんがへ行ひて、自ら信を失はずとなり。
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『五常訓』巻之五・信一有子曰く、信義に近ければ、言復むべし。いふ意は、人に約して、其言をたがへじと思はば、初約せんとする時、其人のいへること、義か不義かをかへりみるべし。義にかなはば、約すべし。義にそむかば、約すべからず。かくの如くすれば、其約違はずして、言ふむべし。言をふむとは、約したる言をふまへて、首尾ちがはざるなり。是信を失はざる道なり。老子曰く、軽く諾する者は、必ず信寡し。いふ意は、かろがろしく請ごへば、後に其事なしがたくて、約にたがふ事あり。故に信すくなしと也。はじめ約せんとする時、つつしみ思案して、後をはかるべし。故に古人は然諾を慎むとて、人の云ひかけたる事を、かろがろしくうけあはずして、約をおもくす。其事義にあたりて行ふべく、又後日に其約ちがふまじき事ならば、うけごひて約し、必約を変ずべからず。
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『五常訓』巻之四・義一子曰く、君子は義以て質と為し、礼以て之を行ひ、孫以て之を出し、信以て之を成す、君子なるかな。云ふ意は君子の事を行ふは、義を以てした地とすべし。義は事を制する本なれば也。万の事を行ふに、まづ義か不義かをかへり見るべし。義にあらずんば、行ふべからず。義に合はば行ふべし。是義を以てしたぢとする也。其上は、礼を以てすべ、よく行ひ、孫を以てへりくだりて、人にたかぶらず、信を以て、始終真実に行ふべし。是君子の行なり。然れども義なければ、其事の主なし。故に礼孫信の三そなはりても、非義なれば見るに足らず。尚書に、以義制事といへるも、此意なり。
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『講孟余話』離婁下 第十一章人に三等あり。下等の人は義に合はず信ならず果ならざるの徒にて、是れ妄人なり。中等の人は信を必とし果を必とし、未だ必ずしも義に合はざるの徒にて、是れ游侠の類なり。上等の人は即ち本文の所謂大人にて、信を必とせず果を必とせず、惟だ義の在る所に従ひて行ふの人なり。若し汎く人品を論ぜば、中等の人も亦得易きに非ず、軽んずることなかれ。然れども学をなすに至りては、上等を捨てて何をか学ばん。
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