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慎思録 / 巻之二

邵子言天地之始終闔闢。一元之數終而復始。是前聖所未言者。然其理或然。以此推之。開闢之前亦有天地。其一元之數。亦猶今之天地之數也。前天地之中有萬物。亦猶今之所有。再開闢之後亦有天地萬物。恰如有今之天地萬物然。前後一元之數。同終而復始。不知幾回。葢天地萬物。有一定之理。萬古變化。有不易之道。故雖萬闔萬闢。而天地人物之不異也。恰如今之天地。此雖臆度之言。無證驗。以理推之。恐當如此。頃見薛敬軒之書。其所說之意亦如此。

新字:邵子言天地之始終闔闢。一元之数終而復始。是前聖所未言者。然其理或然。以此推之。開闢之前亦有天地。其一元之数。亦猶今之天地之数也。前天地之中有万物。亦猶今之所有。再開闢之後亦有天地万物。恰如有今之天地万物然。前後一元之数。同終而復始。不知幾回。葢天地万物。有一定之理。万古変化。有不易之道。故雖万闔万闢。而天地人物之不異也。恰如今之天地。此雖臆度之言。無証験。以理推之。恐当如此。頃見薛敬軒之書。其所説之意亦如此。

書き下し

邵子は天地の始終闔闢を言ふ。一元の数終はりて復た始まる。是れ前聖の未だ言はざる所の者なり。然れども其の理或いは然らん。此を以て之を推すに、開闢の前にも亦た天地有り。其の一元の数も、亦た猶ほ今の天地の数のごとし。前の天地の中に万物有るも、亦た猶ほ今の有る所のごとし。再び開闢するの後にも亦た天地万物有ること、恰も今の天地万物有るが如く然り。前後一元の数、同じく終はりて復た始まること、幾回なるかを知らず。蓋し天地万物には一定の理有り、万古変化するも、不易の道有り。故に万闔万闢すと雖も、天地人物の異ならざること、恰も今の天地の如し。此れ臆度の言にして、証験無しと雖も、理を以て之を推すに、恐らくは当に此くの如くなるべし。頃ろ薛敬軒の書を見るに、其の説く所の意も亦た此くの如し。

現代語訳

邵子(邵雍)は天地の始まりと終わり、開くことと閉じることを説きました。一元の数が終わるとまた始まる、というのです。これは昔の聖人がまだ言わなかったことです。しかしその理はあるいはそうかもしれません。これによって推し量ると、天地が開ける前にもまた天地があり、その一元の数も今の天地の数と同じです。前の天地の中に万物があったのも、今あるものと同じです。ふたたび開けた後にもまた天地万物があるのは、ちょうど今の天地万物があるのと同じです。前後の一元の数が、同じように終わってはまた始まることが、何回あったかわかりません。思うに天地万物には一定の理があり、永遠に変化しても変わらない道があります。だから一万回閉じ一万回開いても、天地人物が異ならないのは、ちょうど今の天地と同じです。これは推測の言葉で証拠はありませんが、理によって推すと、おそらくそうであるはずです。近ごろ薛敬軒の書を見たところ、その説く意味もやはりこのようでした。

解説

北宋の邵雍が『皇極経世書』で説いた元会運世の宇宙論を取り上げ、天地も終わっては始まることを繰り返すのではないか、と推した条です。益軒は「臆度の言、証験無し」とわざわざ断り、理による推論と証拠とを区別しています。この慎重さは本草学で実物を確かめた益軒らしいところです。大きな問いに向き合うとき、推論は推論として示し、証拠のあることと混ぜない、という態度は、今の議論や企画の場でもそのまま通じます。

この章句が説くこと

天地推論変化邵子

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