慎思録 / 巻之二
凡作事。謹始慮終。則寡過寡悔。故作事。當以思爲先。不思而輕卒作事。則必有過。有過則有悔。擇將之道。在智與勇而巳。而知爲上。勇爲下。知者能使勇者。徒勇者不能使智者。以徒勇而無知者爲將。不敗鮮矣。故擇將者。擇知爲先。擇勇者其次也。
新字:凡作事。謹始慮終。則寡過寡悔。故作事。当以思為先。不思而軽卒作事。則必有過。有過則有悔。択将之道。在智与勇而巳。而知為上。勇為下。知者能使勇者。徒勇者不能使智者。以徒勇而無知者為将。不敗鮮矣。故択将者。択知為先。択勇者其次也。
書き下し
凡そ事を作すに、始めを謹み終はりを慮れば、則ち過ち寡く悔い寡し。故に事を作すには、当に思ふを以て先と為すべし。思はずして軽卒に事を作せば、則ち必ず過ち有り。過ち有れば則ち悔い有り。将を択ぶの道は、智と勇とに在るのみ。而して知を上と為し、勇を下と為す。知者は能く勇者を使ふ。徒だ勇なる者は智者を使ふこと能はず。徒だ勇にして知無き者を以て将と為せば、敗れざること鮮し。故に将を択ぶ者は、知を択ぶを先と為し、勇を択ぶ者は其の次なり。
現代語訳
およそ事を行うとき、始めを慎み終わりまで考えておけば、過ちは少なく悔いも少ないものです。だから事を行うには、考えることを先にすべきです。考えずに軽率に事を行えば、必ず過ちがあります。過ちがあれば悔いがあります。将を選ぶ道は、智と勇にあるだけです。そして智が上で、勇が下です。智のある者は勇のある者を使うことができますが、勇があるだけの者は智のある者を使うことができません。勇があるだけで智のない者を将にすれば、敗れないことはまれです。だから将を選ぶ者は、智を選ぶことを先にし、勇を選ぶのはその次です。
解説
前半は「思」を先にせよという慎思の核心、後半は将の選び方で、二つの条が一単位にまとまっています。「始めを謹み終はりを慮る」は『書経』蔡仲之命の「厥の初めを慎み、惟れ其の終はりを思ふ」に通じます。智を勇の上に置くのは『孫子』始計篇が将の条件を智から挙げるのと同じ順です。管理職を選ぶとき、声が大きく行動力のある人に目が行きがちですが、先を読み人を生かせる人かどうかを先に見よ、という教えとして読めます。
この章句が説くこと
思慎将智勇
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