慎思録 / 巻之二
君陳曰。必有忍。其乃有濟。有容。德乃大。竊謂。有忍者。猶有强制之意。至有容。則洪裕寬綽乃德量之廣大也。須習忍以至容。程子曰。忿慾忍與不忍。便見有德無德。朱子曰。只觀人之氣象。便知其德之厚薄。所養之淺深。是皆知人之法也。且修己者。亦須以此自省察。
新字:君陳曰。必有忍。其乃有済。有容。徳乃大。窃謂。有忍者。猶有強制之意。至有容。則洪裕寛綽乃徳量之広大也。須習忍以至容。程子曰。忿慾忍与不忍。便見有徳無徳。朱子曰。只観人之気象。便知其徳之厚薄。所養之浅深。是皆知人之法也。且修己者。亦須以此自省察。
書き下し
君陳に曰く、必ず忍ぶこと有れば、其れ乃ち済すこと有り。容るること有れば、徳乃ち大なり、と。窃かに謂ふ、忍ぶこと有る者は、猶ほ強制の意有り。容るること有るに至れば、則ち洪裕寛綽にして、乃ち徳量の広大なり。須らく忍を習ひて以て容に至るべし。程子曰く、忿慾、忍ぶと忍ばざるとに、便ち有徳無徳を見る、と。朱子曰く、只だ人の気象を観れば、便ち其の徳の厚薄、養ふ所の浅深を知る、と。是れ皆人を知るの法なり。且つ己を修むる者も、亦た須らく此を以て自ら省察すべし。
現代語訳
『書経』君陳篇に「必ず耐え忍ぶことがあれば、事を成し遂げられる。包み容れることがあれば、徳は大きくなる」とあります。私が思うに、「忍ぶ」にはまだ無理に抑えつける意味があります。「容れる」に至れば、ゆったりと広やかで、徳の器量が広大になります。忍ぶことを習って、容れることに至るべきです。程子は「怒りや欲を忍ぶか忍ばないかで、徳があるかないかがわかる」と言いました。朱子は「ただ人の気象(人柄の様子)を見れば、その徳の厚い薄い、修養の浅い深いがわかる」と言いました。これらはみな人を知る方法です。また自分を修める者も、これによって自らを省みるべきです。
解説
「忍」と「容」を段階として区別したところに、益軒の工夫があります。忍ぶことはまだ我慢であり、容れることは器の広さそのものだ、というのです。出典の君陳篇は『書経』周書の一篇で、程子・朱子の言葉は人を見る目の基準として引かれています。職場でも、腹が立つのを抑えている段階と、相手の事情まで受け止められる段階とでは、周りへの影響がまるで違います。人を測る物差しを、まず自分に当てよ、という結びが大切です。
この章句が説くこと
忍寛容徳量知人省察
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尚書・君陳必ず忍ぶこと有りて、其れ乃ち済す有り。容るる有りて、徳乃ち大なり。
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