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忍経 / 謝罪敦睦・胸中の器局凡ならず素より定力有り

張無垢云:「快意事孰不喜為?往往事過不能無悔者,於他人有甚不快存焉。豈得不動於心?君子所以隱忍詳復,不敢輕易者,以彼此兩得也。」 或問張無垢:「倉卒中、患難中處事不亂,是其才耶?是其識也?」先生曰:「未必才識了得,必其胸中器局不凡,素有定力。不然,恐胸中先亂,何以臨事。古人平日欲涵養器劈者,此也。」

新字:張無垢云:「快意事孰不喜為?往往事過不能無悔者,於他人有甚不快存焉。豈得不動於心?君子所以隠忍詳復,不敢軽易者,以彼此両得也。」 或問張無垢:「倉卒中、患難中処事不乱,是其才耶?是其識也?」先生曰:「未必才識了得,必其胸中器局不凡,素有定力。不然,恐胸中先乱,何以臨事。古人平日欲涵養器劈者,此也。」

書き下し

張無垢云ふ「快意の事は孰か為すを喜ばざらん。往往にして事過ぎて悔い無きこと能はざるは、他人に於て甚だ快からざるもの存する有ればなり。豈に心に動かざるを得んや。君子の隱忍詳復して、敢へて輕易にせざる所以の者は、彼此兩つながら得るを以てなり」と。 或ひと張無垢に問ふ「倉卒の中、患難の中に事を處して亂れざるは、是れ其の才なるか、是れ其の識なるか」と。先生曰く「未だ必ずしも才識の了し得るにあらず。必ず其の胸中の器局凡ならず、素より定力有るなり。然らずんば、恐らくは胸中先づ亂れん。何を以て事に臨まん。古人の平日器劈を涵養せんと欲せし者は、此なり」と。

現代語訳

張無垢(南宋の張九成)は言いました。「胸のすくような事を、したくない者などいない。しかし事が過ぎてから後悔せずにいられないことが多いのは、相手の側にひどく不愉快な思いが残るからだ。それを思えば、どうして心が動かずにいられようか。君子がじっと忍び、よくよく考え直して、軽々しく事を運ばないのは、自分と相手の双方がともに得をするようにするためである」。 ある人が張無垢に尋ねました。「とっさの時や災難の最中に、事を処理して乱れないのは、才能によるのですか、見識によるのですか」。先生は言いました。「才能や見識だけでできるとは限らない。きっとその人の胸の内の器が並外れていて、ふだんから心の定まる力があるのだ。そうでなければ、まず胸の内が乱れてしまって、どうして事に当たれよう。昔の人がふだんから器量を養おうとしたのは、このためである」。

解説

南宋の張九成の言葉を二つ並べた一章です。前半は、胸のすくような振る舞いほど、後で悔いが残りやすいと言います。自分がすっきりした分、相手には不快が残るからです。君子がじっくり考え直すのは、双方が得をする道を探すためだ、という説明は、忍を損得の外に置かず、互いの利に結びつけている点で現実的です。後半は、非常時に乱れない人は才能や見識より、ふだん養った器と心の据わりがものを言うと答えています。いざという時の落ち着きは、その場で作れるものではありません。日ごろの小さな場面で、すぐに快を取らない練習を積むことが、その土台になります。

この章句が説くこと

器量定力平静張九成

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