慎思録 / 巻之二
天地萬物。皆有自然之文。日月星辰。雲雨烟霞之成象。而顯于上者。皆在天之文也。山峙川流。江海之深廣。田野之布列。此皆在地之文也。人倫常行之有法則。威儀三千。禮義三百之有品節。進退周旋之有容止。舞蹈之有儀容。衣服之有釆色。器用之有制度。皆是在人之文也。鳥獸蟲魚之有羽毛鱗介。草木之發榮暢茂。群花之紅白爛熳。此皆群品之文也。豈啻形色之視於目者而已哉。抑聲音之聽於耳。臭味之入口鼻。亦皆有文。葢五聲之節歌詠。十二律之和八音。五味之可口。香氣之養鼻。此乃聲音與香味之文也。人惟知形色有文。而不知聲音香味亦皆有文。故曰。萬物皆有自然之文也。豈特見於文辭言語而已哉。薛敬軒曰。凡有條理明白者。皆可謂之文。非特語言文章之謂也。
新字:天地万物。皆有自然之文。日月星辰。雲雨烟霞之成象。而顕于上者。皆在天之文也。山峙川流。江海之深広。田野之布列。此皆在地之文也。人倫常行之有法則。威儀三千。礼義三百之有品節。進退周旋之有容止。舞蹈之有儀容。衣服之有釆色。器用之有制度。皆是在人之文也。鳥獣虫魚之有羽毛鱗介。草木之発栄暢茂。群花之紅白爛熳。此皆群品之文也。豈啻形色之視於目者而已哉。抑声音之聴於耳。臭味之入口鼻。亦皆有文。葢五声之節歌詠。十二律之和八音。五味之可口。香気之養鼻。此乃声音与香味之文也。人惟知形色有文。而不知声音香味亦皆有文。故曰。万物皆有自然之文也。豈特見於文辞言語而已哉。薛敬軒曰。凡有条理明白者。皆可謂之文。非特語言文章之謂也。
書き下し
天地万物、皆自然の文有り。日月星辰、雲雨烟霞の象を成して上に顕るる者は、皆天に在るの文なり。山峙ち川流れ、江海の深広、田野の布列、此れ皆地に在るの文なり。人倫常行の法則有り、威儀三千、礼儀三百の品節有り、進退周旋の容止有り、舞踏の儀容有り、衣服の采色有り、器用の制度有る、皆是れ人に在るの文なり。鳥獣虫魚の羽毛鱗介有り、草木の発栄暢茂、群花の紅白爛漫、此れ皆群品の文なり。豈に啻に形色の目に視る者のみならんや。抑々声音の耳に聴き、臭味の口鼻に入るも、亦た皆文有り。蓋し五声の歌詠を節し、十二律の八音を和し、五味の口に可なる、香気の鼻を養ふ、此れ乃ち声音と香味との文なり。人惟だ形色に文有るを知りて、声音香味も亦た皆文有るを知らず。故に曰く、万物皆自然の文有り、と。豈に特に文辞言語に見るるのみならんや。薛敬軒曰く、凡そ条理明白なる者有れば、皆之を文と謂ふべし。特に語言文章の謂ひに非ざるなり、と。
現代語訳
天地万物にはみな自然の文(あや・秩序ある美しさ)があります。日月星辰、雲や雨やもやが形をなして上に現れるのは、みな天にある文です。山がそびえ川が流れ、大河や海が深く広く、田野が並び広がるのは、みな地にある文です。人倫の日常の行いに法則があり、威儀三千・礼儀三百の細かな節度があり、進み退きめぐる所作に立ち居振る舞いがあり、舞いに姿があり、衣服に色どりがあり、器物に定まった形式があるのは、みな人にある文です。鳥獣虫魚に羽・毛・うろこ・甲羅があり、草木が栄え茂り、多くの花が紅白に咲き乱れるのは、みな万物の文です。目に見える形や色だけでしょうか。耳に聞く声や音、口や鼻に入る香りや味にも、みな文があります。五声が歌を整え、十二律が八音を和し、五味が口に合い、香りが鼻を養うのは、声音と香味の文です。人は形や色に文があることだけを知り、声音や香味にも文があることを知りません。だから、万物にはみな自然の文がある、と言うのです。どうして文章や言葉にだけ現れるものでしょうか。薛敬軒は「およそ筋道がはっきりしているものは、みな文と言ってよい。ことばや文章だけを言うのではない」と言いました。
解説
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