大和俗訓 / 巻之三・心術上
一尙書曰、必有忍、其乃有濟、有容德乃大。忍ぶとは堪忍するなり。堪忍すれば怒をおさへ、事をやぶらずして禍なし。人我の間和平にして、萬事とゝのふ。故に有濟と云ふ。古語に、忍過ぎて事堪喜といへり。堪忍しすませば、必よろこびありとなり。人の惡しきを堪忍せざれば、怒起り、人にあらそひて、人我の間和順ならず、世に立ちがたし。堪忍すればあらそひ出來ず、口論にも及ばずして恥辱なし。心中平かにして樂多し。有容とは、心廣くして、人の善をば取りて用ひ、人の過あるをばゆるすを云ふ。容るゝ事あれば、其德の器大なり。たとへば大なる器の、其量ひろければ、物を入るゝ事多きが如し。古人の詩に、海濶從魚躍、天空任鳥飛といへるがごとし。忍は力を用ひて堪ふるなり。容は其德ひろくして大なれば、忍ぶはいふに及ばず。まづ務めて忍びて、其工夫熟して後、有容にいたるべし。忍は生しきなり。有容は熟するなり。されど初より、容の工夫もあるべし。人の善を取り、人の過をゆるす事、はじめより無くんばあるべからず。
新字:一尚書曰、必有忍、其乃有済、有容徳乃大。忍ぶとは堪忍するなり。堪忍すれば怒をおさへ、事をやぶらずして禍なし。人我の間和平にして、万事とゝのふ。故に有済と云ふ。古語に、忍過ぎて事堪喜といへり。堪忍しすませば、必よろこびありとなり。人の悪しきを堪忍せざれば、怒起り、人にあらそひて、人我の間和順ならず、世に立ちがたし。堪忍すればあらそひ出来ず、口論にも及ばずして恥辱なし。心中平かにして楽多し。有容とは、心広くして、人の善をば取りて用ひ、人の過あるをばゆるすを云ふ。容るゝ事あれば、其徳の器大なり。たとへば大なる器の、其量ひろければ、物を入るゝ事多きが如し。古人の詩に、海濶従魚躍、天空任鳥飛といへるがごとし。忍は力を用ひて堪ふるなり。容は其徳ひろくして大なれば、忍ぶはいふに及ばず。まづ務めて忍びて、其工夫熟して後、有容にいたるべし。忍は生しきなり。有容は熟するなり。されど初より、容の工夫もあるべし。人の善を取り、人の過をゆるす事、はじめより無くんばあるべからず。
書き下し
一尚書に曰く、必ず忍ぶこと有りて、其れ乃ち済すこと有り、容るること有りて徳乃ち大なり。忍ぶとは堪忍するなり。堪忍すれば怒をおさへ、事をやぶらずして禍なし。人我の間和平にして、万事ととのふ。故に有済と云ふ。古語に、忍過ぎて事喜ぶに堪ふといへり。堪忍しすませば、必よろこびありとなり。人の悪しきを堪忍せざれば、怒起り、人にあらそひて、人我の間和順ならず、世に立ちがたし。堪忍すればあらそひ出来ず、口論にも及ばずして恥辱なし。心中平かにして楽多し。有容とは、心広くして、人の善をば取りて用ひ、人の過あるをばゆるすを云ふ。容るる事あれば、其徳の器大なり。たとへば大なる器の、其量ひろければ、物を入るる事多きが如し。古人の詩に、海濶くして魚の躍るに従せ、天空しくして鳥の飛ぶに任すといへるがごとし。忍は力を用ひて堪ふるなり。容は其徳ひろくして大なれば、忍ぶはいふに及ばず。まづ務めて忍びて、其工夫熟して後、有容にいたるべし。忍は生しきなり。有容は熟するなり。されど初より、容の工夫もあるべし。人の善を取り、人の過をゆるす事、はじめより無くんばあるべからず。
現代語訳
『書経』に「必ず忍ぶことがあって、はじめて事を成し遂げることができる。受け容れることがあって、徳は大きくなる」とあります。忍ぶとは堪忍することです。堪忍すれば怒りを抑え、事を破らずに禍がありません。自分と他人の間が穏やかで、あらゆる事が整います。だから「済すこと有り」というのです。古語に「忍び過ごせば、事は喜ぶに値するものとなる」とあります。堪忍しおおせれば、必ず喜びがあるということです。人の悪いところを堪忍しなければ、怒りが起こり、人と争って、自分と他人の間が和やかでなく、世に立ちにくくなります。堪忍すれば争いが起こらず、口論にもならず、恥をかくこともありません。心の中が穏やかで、楽しみが多いのです。容るとは、心が広くて、人の善いところは取り入れて用い、人の過ちは許すことをいいます。受け容れる度量があれば、その徳の器は大きいのです。たとえば大きな器は、その容量が広いので、物をたくさん入れられるようなものです。古人の詩に「海は広くて魚の躍るに任せ、空は広くて鳥の飛ぶに任せる」とあるようなものです。忍は力を用いてこらえることです。容はその徳が広く大きいので、忍ぶのは言うまでもありません。まず努めて忍び、その工夫が熟してから、容に至るべきです。忍はまだ生のもの、容は熟したものです。けれども、初めから容の工夫もあるべきです。人の善を取り入れ、人の過ちを許すことは、初めからなくてはなりません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之二君陳に曰く、必ず忍ぶこと有れば、其れ乃ち済すこと有り。容るること有れば、徳乃ち大なり、と。窃かに謂ふ、忍ぶこと有る者は、猶ほ強制の意有り。容るること有るに至れば、則ち洪裕寛綽にして、乃ち徳量の広大なり。須らく忍を習ひて以て容に至るべし。程子曰く、忿慾、忍ぶと忍ばざるとに、便ち有徳無徳を見る、と。朱子曰く、只だ人の気象を観れば、便ち其の徳の厚薄、養ふ所の浅深を知る、と。是れ皆人を知るの法なり。且つ己を修むる者も、亦た須らく此を以て自ら省察すべし。
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尚書・君陳必ず忍ぶこと有りて、其れ乃ち済す有り。容るる有りて、徳乃ち大なり。
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『大和俗訓』巻之八・応接一人我に無礼なりとて、わが恥辱にならざる事は、咎むべからず。人の無礼をなだめ許して堪忍すれば、わが心和平にして、楽をうしなはず、人に争はずして無事なり。われに恥辱なし。古語に、忍過ぎて、事喜ぶにたへたりといへるが如く、堪忍して後は、喜となる。もし人の無礼をとがめて、我よりもまた悪言を出し、無礼を行へば、人も亦いかりて堪忍せず。我が咎めしより猶過ぎて、甚しく無礼を我に施せば、堪忍なりがたくして、即時に闘に及ぶ。此時にいたりて、はじめてその災をおそれて堪忍するも見ぐるし。ただ初より礼義正しくして、人もし無礼を行ふとも、わが恥辱にならざる程は、堪忍して、我より又人を悪口すべからず。彼が愚なるに対して、怒をおこし、無礼をほどこせば、われも亦愚なり。
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『忍経』総論・君子は以て忿を懲らし欲を窒ぐ《易・損卦》に云ふ、「君子は以て忿を懲らし欲を窒ぐ」と。 《書》に周公、周王を戒めて曰く、「小人汝を怨み汝を罟(詈)らば、則ち皇いに自ら德を敬め」と。又た曰く、「啻に敢て怒りを含まざるのみならず」と。又た曰く、「其の心を寬綽にせよ」と。成王、君陳に告げて曰く、「必ず忍ぶこと有りて、其れ乃ち濟すこと有り。容るること有りて、德乃ち大なり」と。 《左傳》宣公十五年に、「諺に曰く、『高下は心に在り、川澤は汙を納れ、山藪は疾を藏し、瑾瑜は瑕を匿す、國君の垢を含むは、天の道なり』」と。昭公元年に、「魯は相忍ぶを以て國を爲むるなり」と。
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『忍経』序・忍は胸中博閎の器局忍は乃ち胸中博閎の器局にして、仁者の事爲り、惟だ寬恕の二字のみ能く之を行ふ。顏子云ふ「犯されて校せず」と、《書》に云ふ「容るること有れば德乃ち大なり」と、皆な忍の謂なり。韓信は胯下に忍びて、卒に登壇の拜を受け、張良は履を取るに忍びて、終に封侯の榮有り。忍の義爲る、大なるかな。惟だ其れ能く忍べば則ち涵養定力有り、觸れ來るも競ふこと無く、事過ぎて化し、一に寬恕を以て之を行ふ。官に當りては暴怒を以て戒と爲し、家に居りては謙和を以て自ら持す。暴慢其の心に萌さず、是非人に形はさず。善を好みて勢を忘れ、方便心に存し、之を行ひて純熟すれば、日に無過の地を踐むべし、聖賢を去ること又た何ぞ遠からんや。苟し或いは然らずんば、喜怒に任せ、愛憎を分ち、人の非を捃拾し、動もすれば峻にして色を亂す。干すに非意を以てする者は、未だ必ずしも能く理を以て遣らず、倉卒に遇ふ者は、未だ必ずしも氣勝に入らずんばあらず。之を偏淺に失はざれば、則ち之を躁急に失ひ、自ら處するに暇あらず、何の暇ありてか事を治めん。將に恐らくは衆怨身に叢り、咎焉より大なるは莫からん。其の呂蒙正の姓名を問はざると、張公藝の九世同居するとを視て、寧ぞ愧ぢざらんや。愚、暇に因りて經史の語句を類集し、名づけて《忍經》と曰ふ。凡そ我が同志、一たび寓目する間に、能く寬恕に由りて此の忍を充たし、由りて仁に至る有らば、豈に小補ならんや。 大德十年丙午閏月朔、古杭の蟾心吳亮序す。
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『楽訓』巻之上・総論一忍は、しのぶとも、こらふるともよめり。俗にいはゆる堪忍する事なり。忍ぶべき事多し、大やう忿と欲との二に出でず。我が身の好める酒食声色財利などの私慾をこらへて、恣にせざると、身のやつやつしく、豊ならざるをこらへて、貧をあまんじ苦まざるは、慾を忍ぶなり。人の我に情なく無礼なるをば、凡人はかくこそ有らめと思ひこらへて、いかり恨みざるは、忿を忍ぶなり。凡忿と慾とを忍べば、心平かに気和ぎ、身やすく、人にさはりなくして、恥なく、苦なく、後のうれひなく、わざはひなし。忍の一字より、万の善き事出づ。忍ばざれば、万のあしき事、是より出づ。故に古語に、忍は是衆妙の門と云へり。忍のことわり、楽を得るにおいて、其益大なるかな。
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