慎思録 / 巻之二
朱子好說恰好二字。葢人之所行。合時宜而達事變。應人情而順物理。凡百行惟無過不及之差。則所處皆恰好。此恰好二字之所以當理也。
新字:朱子好説恰好二字。葢人之所行。合時宜而達事変。応人情而順物理。凡百行惟無過不及之差。則所処皆恰好。此恰好二字之所以当理也。
書き下し
朱子は好んで恰好の二字を説く。蓋し人の行ふ所、時宜に合ひて事変に達し、人情に応じて物理に順ひ、凡百の行ひ惟だ過不及の差無ければ、則ち処る所皆恰好なり。此れ恰好の二字の理に当たる所以なり。
現代語訳
朱子は好んで「恰好(ちょうどよい)」の二字を説きました。思うに、人の行いが時の宜しさに合って事の変化に通じ、人の情に応じて物の理に従い、あらゆる行いに過ぎたり足りなかったりの差がなければ、身の処し方はすべてちょうどよくなります。これが「恰好」の二字が理にかなっているわけです。
解説
朱子がしばしば用いた「恰好」という言葉を、中庸の「過不及無し」と結びつけて説明した条です。時宜・事変・人情・物理の四つに合うことを挙げているのが益軒らしい整理で、正しさは抽象的な原則だけでなく、その場その人に合っているかで決まることを示します。仕事でも、正論でも言い方や時機を誤れば通らず、配慮が過ぎれば筋が曲がります。ちょうどよさを探ることが、実は最も難しく最も大事な工夫だと気づかせてくれます。
この章句が説くこと
中庸恰好時宜人情理
関連する章句
-
『都鄙問答』卷之四・或人天地開闢ノ說ヲ譏ノ段曲に泥むことあつては、書を見るとも不審ばかり出でて、心を解くの楽しみとは成るまじ。滞りて困しむは、我が知の開けざる所なりと知るべし。子思曰く、今夫れ天は斯の昭々の多きなり、其の窮まり無きに及んでは、日月星辰繋り、万物覆はると。此の味を見て知るべし。天は広大なれども、耿々と少しばかり明らかなる、器の中の天を見て、其の高大の天を知るべし。聖人も、天地の外を、巡り見玉ふにはあらず。子曰く、殷は夏の礼に因る、損益する所知るべきなりと。前を推して後を知り、今より推して始めを知る。人と生るれば、仁義礼智の性は、古今相続きて変らず。是れ天地に有りては元亨利貞と云ふ。名は替れども、万物の理は一なり。一物を知り得れば、一物の中に、万物の理はこもれり。然れども此の微妙の理は、容易く知るべき所にあらず。
-
『慎思録』巻之五天地の間、道に非ざる無し。鳶の飛び、魚の躍る者は、乃ち天機の発動する所、道の費なり。此れ見るべし。鳶をして飛ばしめ、魚をして躍らしむる者は、鬼神の為す所、是れ二気の良能、道の隠なり。此れ見るべからず。合せて之を言へば、則ち二気の流行する所、皆是れ天理の在る所にして、道に非ざる無し。
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「楊子は我が為にするを取る。一毛を抜きて天下を利するも、為さざるなり。墨子は兼愛す。頂を摩し踵に放るも、天下を利するは之を為す。子莫は中を執る。中を執るは之に近しと為すも、中を執りて權すること無ければ、猶ほ一を執るなり。一を執るに惡む所の者は、其の、道を賊うが為なり。一を舉げて百を廢すればなり。」
-
論語・先進篇子貢問う、「師と商とは孰れか賢れる。」子曰く、「師や過ぎたり、商や及ばず。」曰く、「然らば則ち師愈れるか。」子曰く、「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし。」
-
孟子・離婁章句下孟子曰く、「仲尼は已甚だしきを為さざる者なり。」
-
論語・雍也篇子曰わく、中庸の徳たるや、その至れるかな!民、鮮(すくな)きこと久し。