論語 / 先進篇
子貢問:「師與商也孰賢?」子曰:「師也過,商也不及。」曰:「然則師愈與?」子曰:「過猶不及。」
新字:子貢問:「師与商也孰賢?」子曰:「師也過,商也不及。」曰:「然則師愈与?」子曰:「過猶不及。」
書き下し
子貢問う、「師と商とは孰れか賢れる。」子曰く、「師や過ぎたり、商や及ばず。」曰く、「然らば則ち師愈れるか。」子曰く、「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし。」
現代語訳
子貢が尋ねた。「師(子張)と商(子夏)とでは、どちらが優れていますか。」先生はおっしゃった。「師はやりすぎ、商は足りない。」「では師のほうが優れているのですか。」先生はおっしゃった。「やりすぎは、足りないのと同じことだ。」
解説
有名な過猶不及の出典である。子貢の追加質問が、この章を生かしている。過ぎているほうが上でしょう、という感覚は自然だ。足りないより余っているほうがよいと、多くの人が思っている。孔子はそれを否定した。基準からの距離という一点で見れば、超過も不足も等しく外れている。この見方は実務で強い効き目を持つ。品質を上げすぎて納期を落とす、丁寧すぎて決まらない、資料を作り込みすぎて意思決定が遅れる。どれも足りない場合と同じく失敗である。しかし過剰は努力の形をしているため、指摘されにくい。頑張った結果だから、責める空気にならない。過ぎたるは及ばざるがごとし、という一句が長く残ったのは、この見えにくさを言い当てているからだろう。
この章句が説くこと
中庸過猶不及基準バランス過剰意思決定
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