慎思録 / 巻之一
大凡觀古人之書。聞今人之言。而知其義理之當否。有三證。考諸聖經而不謬。一也。比諸天地萬物之理而不悖。二也。鑒諸我心之良知而無疑。三也。能以此三者。試義理之當否。庶乎不違矣。三者之中。考諸聖經者。乃其本也。
新字:大凡観古人之書。聞今人之言。而知其義理之当否。有三証。考諸聖経而不謬。一也。比諸天地万物之理而不悖。二也。鑒諸我心之良知而無疑。三也。能以此三者。試義理之当否。庶乎不違矣。三者之中。考諸聖経者。乃其本也。
書き下し
大凡古人の書を観、今人の言を聞きて、其の義理の当否を知るに、三証有り。諸を聖経に考へて謬らざる、一なり。諸を天地万物の理に比べて悖らざる、二なり。諸を我が心の良知に鑑みて疑ひ無き、三なり。能く此の三者を以て、義理の当否を試みれば、違はざるに庶からん。三者の中、諸を聖経に考ふる者は、乃ち其の本なり。
現代語訳
おおよそ昔の人の書を読み、今の人の言葉を聞いて、その義理が当たっているかどうかを知るには、三つの証があります。聖人の経書に照らして誤りがないこと、これが一つです。天地万物の理と比べて背かないこと、これが二つです。自分の心の良知に照らして疑いがないこと、これが三つです。この三つによって義理の当否を試せば、誤ることはないでしょう。三つのうち、聖人の経書に照らすことが、その根本です。
解説
ある説が正しいかどうかを確かめる三つの物差しを示した、方法論的な条です。経典との一致、天地万物の理との一致、自分の良知との一致の三つで、『中庸』第二十九章の「諸を三王に考へて繆らず、諸を天地に建てて悖らず」という表現にならっています。益軒は本草学などで実物の観察を重んじた人で、書物だけでなく自然の理に照らすことを入れているのが特徴です。今の情報の真偽を見分けるときも、信頼できる典拠、事実との整合、自分の良心という三つの視点が役立ちます。
この章句が説くこと
義理良知経書判断中庸
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