慎思録 / 巻之一
衆人之爲不善。而將有禍。不知悔其非改其過。特負禱神媚佛。而欲遠罪。難乎免禍也。此因暗禍福報應之理也。敎人之道。雖子弟卑幼之輩愚不肖。不宜乎忿厲激怒。唯嚴肅從容。丁寧告戒。循循誘引。是所以能養成人材也。故曰。中也養不中。才也養不才。詩曰。載色載笑。匪怒伊敎。是乃敎人之道。宜如此。若忿怒罵詈。則人亦拂戾扞格。而不容敎。所以不能敎育人材也。
新字:衆人之為不善。而将有禍。不知悔其非改其過。特負祷神媚仏。而欲遠罪。難乎免禍也。此因暗禍福報応之理也。教人之道。雖子弟卑幼之輩愚不肖。不宜乎忿厲激怒。唯厳粛従容。丁寧告戒。循循誘引。是所以能養成人材也。故曰。中也養不中。才也養不才。詩曰。載色載笑。匪怒伊教。是乃教人之道。宜如此。若忿怒罵詈。則人亦払戻扞格。而不容教。所以不能教育人材也。
書き下し
衆人の不善を為して、将に禍有らんとするや、其の非を悔い其の過ちを改むることを知らず、特に神に禱り仏に媚ぶるを負みて、罪を遠ざけんと欲す。禍を免るること難し。此れ禍福報応の理に暗きに因るなり。人を教ふるの道は、子弟卑幼の輩の愚不肖と雖も、忿厲激怒するは宜しからず。唯厳粛従容として、丁寧に告げ戒め、循循として誘引す。是れ能く人材を養成する所以なり。故に曰く、中や不中を養ひ、才や不才を養ふと。詩に曰く、載ち色し載ち笑ふ、怒るに匪ず伊れ教ふと。是れ乃ち人を教ふるの道、宜しく此くの如くなるべし。若し忿怒罵詈すれば、則ち人も亦払戻扞格して、教へを容れず。人材を教育すること能はざる所以なり。
現代語訳
普通の人が不善をなして禍が起ころうとするとき、自分の誤りを悔い過ちを改めることを知らず、ただ神に祈り仏に媚びることを頼みにして、罪を遠ざけようとします。これでは禍を免れるのは難しいでしょう。禍福の報いの道理に暗いからです。人を教える道は、身内の若者や目下の者が愚かで未熟であっても、激しく怒るのはよくありません。ただ厳かで落ち着いて、丁寧に告げ戒め、順序よく導きます。これがよく人材を育てる方法です。だから「中庸を得た人が得ていない人を養い、才ある人が才のない人を養う」と言うのです。『詩経』に「顔を和らげ笑いを浮かべ、怒るのではなく教える」とあります。人を教える道はこのようであるべきです。もし怒り罵れば、相手も反発してはねつけ、教えを受け入れません。これが人材を育てられない理由です。
解説
この章句が説くこと
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