詩経 / 国風・鄭風・山有扶蘇
《山有扶蘇》,刺忽也。所美非美然。 山有扶蘇,隰有荷華。不見子都,乃見狂且。 山有橋松,隰有遊龍。不見子充,乃見狡童。
新字:《山有扶蘇》,刺忽也。所美非美然。 山有扶蘇,隰有荷華。不見子都,乃見狂且。 山有橋松,隰有遊竜。不見子充,乃見狡童。
書き下し
山有扶蘇は、忽を刺るなり。美とする所、美に非ざること然り。 山に扶蘇(ふそ)有り、隰(さわ)に荷華(かか)有り。子都(しと)を見ずして、乃ち狂且(きょうしょ)を見る。 山に橋松(きょうしょう)有り、隰に遊龍(ゆうりょう)有り。子充(しじゅう)を見ずして、乃ち狡童(こうどう)を見る。
現代語訳
「山有扶蘇」の詩は、鄭の忽をそしったものである。忽が美しいと思って重んじる者が、実は美しくない(すぐれていない)ことをいう。 山には枝葉の茂る扶蘇(ふそ)の木があり、沢には蓮の花がある。美男の子都(しと)には会えず、会ったのはおかしな馬鹿者。 山には高くそびえる松があり、沢には水辺に広がる蓼(たで)がある。立派な子充(しじゅう)には会えず、会ったのはずる賢い小僧。
解説
山には木、沢には花と、それぞれあるべき所にあるべきものがあるのに、自分が出会ったのは美男ではなく愚か者だった、という軽口の歌である。子都は古代に美男として知られた人の名で、『孟子』告子上にも「子都に至りては、天下其の姣(うつく)しきを知らざる莫し」と見える。毛詩序はこれを、鄭の忽が美しいと思って用いる者が実は美しくない、つまり人の用い方を誤っていることをそしる詩と読んだ。朱熹は、女が恋人をからかう戯れの歌とする。詩の調子からすれば、後者の方が自然に読める。ただ、見たいものが見えず、見たくないものばかりが目に入るという嘆きは、人を選び用いる立場の者にとっては他人事ではない。評価の目が曇れば、周りには狂且と狡童ばかりが集まる。
この章句が説くこと
詩経鄭恋人材興
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