慎思録 / 巻之一
古語曰。幼成如天性。習慣如自然。誠哉是言也。人只習善則爲善人。習惡則爲惡人。習之移人也大矣。故孔子曰。性相近也。習相遠也。凡學則須習。習則熟。熟則如自然。所謂習與性成也。
新字:古語曰。幼成如天性。習慣如自然。誠哉是言也。人只習善則為善人。習悪則為悪人。習之移人也大矣。故孔子曰。性相近也。習相遠也。凡学則須習。習則熟。熟則如自然。所謂習与性成也。
書き下し
古語に曰く、幼成は天性の如く、習慣は自然の如しと。誠なるかな是の言や。人は只善に習へば則ち善人と為り、悪に習へば則ち悪人と為る。習ひの人を移すや大なり。故に孔子曰く、性相近し、習ひ相遠しと。凡そ学べば則ち須らく習ふべし。習へば則ち熟す。熟すれば則ち自然の如し。所謂習ひ性と成るなり。
現代語訳
古い言葉に「幼いうちに身についたものは生まれつきの性質のようになり、習慣は自然のようになる」とあります。まことにそのとおりです。人はただ善に習えば善人となり、悪に習えば悪人となります。習いが人を変える力は大きいのです。だから孔子は「生まれつきの性質は近いが、習いによって遠く隔たる」と言いました。学んだら必ず習わなければなりません。習えば熟し、熟せば自然のようになります。いわゆる「習いが性質となる」ということです。
解説
習慣が人を作るという教育の根本を説いた条です。「幼成は天性の如く、習慣は自然の如し」は『漢書』賈誼伝に見える言葉で、前条に続いて賈誼が引かれています。「性相近し、習ひ相遠し」は『論語』陽貨篇、「習ひ性と成る」は『尚書』太甲篇の言葉です。益軒は、学ぶことと習うことを分け、繰り返し習って熟したものだけが自然な振る舞いになると言います。知識として知っているだけでは身につかず、毎日の繰り返しが人柄を作るのです。善い習慣を一つ選んで続けてみたくなります。
この章句が説くこと
習慣性教育論語熟
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