三字経 / 『三字経』性は善、習いで差がつく
人之初,性本善,性相近,習相遠; 苟不教,性乃遷,教之道,貴以專。
新字:人之初,性本善,性相近,習相遠; 苟不教,性乃遷,教之道,貴以専。
書き下し
人の初め、性は本と善なり。性は相い近く、習えば相い遠し。 苟しくも教えざれば、性は乃ち遷る。教えの道は、貴ぶに専らなるを以てす。
現代語訳
人は生まれたばかりのとき、本性はもともと善です。本性は誰でも近いものですが、習慣や学びによって大きく離れていきます。 もし教えなければ、本性は悪いほうへ移ってしまいます。教えるうえで大切なのは、一つのことに専念させることです。
解説
冒頭の二句は、孟子の性善説と、『論語』陽貨篇の「性は相近く、習えば相遠し」を一つに重ねたものです。後半は、生まれつきより教育と環境が人を分けると述べ、教えは一筋に専らであれと説きます。宋の王応麟の作と伝わりますが、異説もあります。職場に引きつけると、新人の優劣の大半は才能ではなく、最初に何を繰り返し習ったかで決まるという見方になります。育成の方針を散らさず、一つに絞って続ける大切さを教えてくれます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
性本善習相遠教之道専習慣
関連する章句
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『慎思録』巻之一古語に曰く、幼成は天性の如く、習慣は自然の如しと。誠なるかな是の言や。人は只善に習へば則ち善人と為り、悪に習へば則ち悪人と為る。習ひの人を移すや大なり。故に孔子曰く、性相近し、習ひ相遠しと。凡そ学べば則ち須らく習ふべし。習へば則ち熟す。熟すれば則ち自然の如し。所謂習ひ性と成るなり。
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『和俗童子訓』巻之二・総論下一人の善悪は、多くはならひなるるによれり。善に習ひなるれば善人となり、悪に習ひなるれば悪人となる。然れば幼き時より、習ひなるる事を慎むべし。仮にも悪しき友に交れば、ならひて悪しき方に早く移り易し。恐るべし。
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論語・陽貨篇子曰わく、性相近くして、習い相遠し。
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伝習録・黄以方録「夫子の『性、相い近し』と説くは、即ち孟子の『性は善なり』と説くなり。専ら気質の上に在りて説くべからず。若し気質を説かば、剛と柔と対するが如きは、如何ぞ相い近きを得んや。惟だ性の善なるは則ち同じきのみ。人生の初時の善は、原と是れ同じきなり。但だ剛の者、善に習えば則ち剛善と為り、悪に習えば則ち剛悪と為る。柔の者、善に習えば則ち柔善と為り、悪に習えば則ち柔悪と為る。便ち日に相い遠ざかれり」と。
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『大和俗訓』巻之二・為学下一孔子曰、幼成如天性、習慣如自然とは、幼少より習ひて成就したる事は、天性に生れつきたるが如くなり。又久しく習ひなれて染みぬる事は、善きも悪しきも、つとめずして自然によくするが如しとなり。善悪ともに、性に出でたるも、習より出づること多し。然れば習ひなるる事、善悪をえらび慎むべし。習ひて慣れぬる事は、生れつきたる自然の如し。学問をするも、善に習ひなるるわざなり。人の悪をするも、必生れつきてするのみにはあらず、悪人に習ひてする事多し。故に孔子も、性は相近し、習へば相遠しとのたまへり。
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『慎思録』巻之四善を為す者は、須らく其の道を馴致すべし。蓋し積習して已まざれば、則ち必ず其の功を成して、自然の如し。然らば則ち善を為す者は、馴致の功貴ぶべきかな。悪を為すも亦た馴致するのみ。宋人の雑志に載す、都下の小児纔かに三歳にして、曲拍皆節に中る、と。篤信謂ふ、吾が戚里の小児、生まれて四歳、亦た能く節を拍ちて爽はず。其の天性此の如き者有り。又節を知らざる者は、長大にして之を教ふと雖も、然れども拍ちて節に中ること能はず。人性の技芸に於ける、能有り不能有ること此の如し。夫れ人を教ふるの道、倫理綱常の如きは、固より衆人をして之に由らしめざるべからず。其の他の材芸の如きは、人各能有り不能有り。須らく其の才性の能くする所に循ひて之を教ふべし。庶はくは其の材を達すること有らん。其の能くせざる所を強ふべからず。労すと雖も功無し。後世の人に任ずるや、其の能否を察すること能はず、其の能くせざる所を強ひて、其の職を以て責む。過ち無からんと欲すと雖も、得べからず。而して聖人の才を用ふるや、賢哲稷契皐陶伯益垂夔龍の如き、亦た各其の長ずる所に因りて、其の職を授け、彼をして終身其の一官を守りて、其の功を成さしむ。此れ庶績咸熙まる所以なり。今人を教へ材を成さしむるの道も、亦た当に此の如くなるべし。