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慎思録 / 巻之一

孝經大夫孝章。先言先王之法服。次言先王之法言與德行。孟子答曹交。亦先服而後言行。夫言行者。人事之大者也。然以服爲先。何也。蓋服者。身之表也。接人則先見者也。而後聽言觀行。故以此爲言行之先。魯語曰。服心之文也。左傳曰。服之不衷。身之災也。愚謂。心之所好。身必服之。觀服之邪正。而其心術可知。可不愼乎。詩曰。彼其之子。不稱其服。蓋服有貴賤老幼土俗之相稱。與不相稱。不相稱者。是服之不衷也。

新字:孝経大夫孝章。先言先王之法服。次言先王之法言与徳行。孟子答曹交。亦先服而後言行。夫言行者。人事之大者也。然以服為先。何也。蓋服者。身之表也。接人則先見者也。而後聴言観行。故以此為言行之先。魯語曰。服心之文也。左伝曰。服之不衷。身之災也。愚謂。心之所好。身必服之。観服之邪正。而其心術可知。可不慎乎。詩曰。彼其之子。不称其服。蓋服有貴賤老幼土俗之相称。与不相称。不相称者。是服之不衷也。

書き下し

孝経の大夫の孝章は、先づ先王の法服を言ひ、次に先王の法言と徳行とを言ふ。孟子の曹交に答ふるも、亦服を先にして言行を後にす。夫れ言行は、人事の大なる者なり。然るに服を以て先と為すは、何ぞや。蓋し服は、身の表なり。人に接すれば則ち先づ見ゆる者なり。而る後に言を聴き行ひを観る。故に此を以て言行の先と為す。魯語に曰く、服は心の文なりと。左伝に曰く、服の衷ならざるは、身の災ひなりと。愚謂へらく、心の好む所、身必ず之を服す。服の邪正を観て、其の心術知るべし。慎まざるべけんや。詩に曰く、彼の其の子、其の服に称はずと。蓋し服には貴賤老幼土俗の相称ふと、相称はざると有り。相称はざる者は、是れ服の衷ならざるなり。

現代語訳

『孝経』の大夫の孝を説く章は、まず先王の定めた服を言い、次に先王の定めた言葉と徳行を言っています。孟子が曹交に答えたときも、服を先にして言葉と行いを後にしました。言葉と行いは人の事の大きなものです。それなのに服を先にするのはなぜでしょうか。服は身の表であり、人に接するとまず目に入るものです。そのあとで言葉を聞き行いを見ます。だからこれを言葉と行いの先とするのです。『国語』魯語に「服は心の飾りである」とあり、『春秋左氏伝』に「服が分に合わないのは、身の災いである」とあります。私が思うに、心が好むものを、身は必ず身につけます。服の正邪を見れば、その人の心の持ち方が分かります。慎まずにいられましょうか。『詩経』に「あの人は、その服に似つかわしくない」とあります。服には、身分や年齢、土地の習わしに合うものと合わないものがあります。合わないものが、服が分に合わないということです。

解説

身なりが心の表れであることを、経書を引いて論じた条です。『孝経』卿大夫章は、先王の法服でなければ着ず、法言でなければ言わず、徳行でなければ行わないと説きます。『孟子』告子下篇でも、堯の服を着て堯の言葉を唱え、堯の行いをせよと答えています。「服の衷ならざるは身の災ひ」は『春秋左氏伝』僖公二十四年の言葉です。益軒は服そのものの華美より、身分や年齢、土地柄に釣り合っているかを問題にしています。場にふさわしい装いは、相手への敬意の表れでもあります。

この章句が説くこと

心術孝経身なり

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