慎思録 / 巻之一
漢匡衡曰。治性之道。必審己之所有餘。而强其所不足。愚謂。治性者。乃宋儒之所謂變化氣質也。匡衡之言。亦可以爲治性之法。夫道一而巳。故學焉者貴純一。若行王道。而雜覇術者。爲伯道。非王道也。爲儒而雜異術者。爲異術。非儒也。學程朱而雜陸王者。爲陸王之徒。非程朱之學也。行道誼而雜功利者。爲功利。非道誼也。葢雖淸冽之水。苟有一點之汚穢。不可呑也。
新字:漢匡衡曰。治性之道。必審己之所有余。而強其所不足。愚謂。治性者。乃宋儒之所謂変化気質也。匡衡之言。亦可以為治性之法。夫道一而巳。故学焉者貴純一。若行王道。而雑覇術者。為伯道。非王道也。為儒而雑異術者。為異術。非儒也。学程朱而雑陸王者。為陸王之徒。非程朱之学也。行道誼而雑功利者。為功利。非道誼也。葢雖清冽之水。苟有一点之汚穢。不可呑也。
書き下し
漢の匡衡曰く、性を治むるの道は、必ず己の余り有る所を審らかにして、其の足らざる所を強くすと。愚謂へらく、性を治むるとは、乃ち宋儒の所謂気質を変化するなり。匡衡の言も、亦以て性を治むるの法と為すべし。夫れ道は一のみ。故に学ぶ者は純一を貴ぶ。若し王道を行ひて、覇術を雑ふる者は、伯道為り、王道に非ざるなり。儒と為りて異術を雑ふる者は、異術為り、儒に非ざるなり。程朱を学びて陸王を雑ふる者は、陸王の徒為り、程朱の学に非ざるなり。道誼を行ひて功利を雑ふる者は、功利為り、道誼に非ざるなり。蓋し清冽の水と雖も、苟も一点の汚穢有れば、呑むべからざるなり。
現代語訳
漢の匡衡は「性質を治める道は、必ず自分の余っているところを見極めて、足りないところを強くすることだ」と言いました。私が思うに、性質を治めるとは、宋の儒者のいう気質を変化させることです。匡衡の言葉も、性質を治める方法とすることができます。道は一つだけです。だから学ぶ者は純一を尊びます。王道を行いながら覇者の術を混ぜる者は覇道であって、王道ではありません。儒者でありながら異端の術を混ぜる者は異端の術であって、儒者ではありません。程朱の学を学びながら陸王の学を混ぜる者は陸王の徒であって、程朱の学ではありません。道義を行いながら功利を混ぜる者は功利であって、道義ではありません。澄みきった水でも、一点の汚れがあれば飲むことはできないのです。
解説
この章句が説くこと
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