慎思録 / 巻之一
人知其過者寡矣。此知過爲難。而知過而能改者。爲最難。故自知過而能改。聞過則喜者。皆爲可貴耳。義是天下之公。利是一己之私。公則善而有福。私則不善而有禍。世人非唯不知義利之可取捨。復不能知吉凶禍福之所由起。是以徇私背公。捨福取禍。其終至于敗家滅身而不悟。可勝歎哉。古人所謂貪天禍而不弭者。是也。
新字:人知其過者寡矣。此知過為難。而知過而能改者。為最難。故自知過而能改。聞過則喜者。皆為可貴耳。義是天下之公。利是一己之私。公則善而有福。私則不善而有禍。世人非唯不知義利之可取捨。復不能知吉凶禍福之所由起。是以徇私背公。捨福取禍。其終至于敗家滅身而不悟。可勝嘆哉。古人所謂貪天禍而不弭者。是也。
書き下し
人の其の過ちを知る者は寡し。此れ過ちを知るを難しと為して、過ちを知りて能く改むる者を、最も難しと為す。故に自ら過ちを知りて能く改め、過ちを聞けば則ち喜ぶ者は、皆貴ぶべしと為すのみ。義は是れ天下の公なり。利は是れ一己の私なり。公なれば則ち善にして福有り。私なれば則ち不善にして禍有り。世人は唯義利の取捨すべきを知らざるのみに非ず、復た吉凶禍福の由りて起こる所を知ること能はず。是を以て私に徇ひ公に背き、福を捨てて禍を取る。其の終り家を敗り身を滅ぼすに至りて悟らず。歎くに勝ふべけんや。古人の所謂天禍を貪りて弭めずといふ者は、是れなり。
現代語訳
自分の過ちを知る人は少ないものです。過ちを知ることは難しく、過ちを知ってよく改めることは最も難しいのです。だから自分で過ちを知ってよく改め、過ちを指摘されれば喜ぶ人は、みな尊ぶべきです。義は天下の公のものであり、利は自分一人の私のものです。公であれば善で福があり、私であれば不善で禍があります。世の人は、義と利のどちらを取りどちらを捨てるべきかを知らないだけでなく、吉凶禍福がどこから起こるのかも知ることができません。だから私に従って公に背き、福を捨てて禍を取り、ついには家を傾け身を滅ぼすに至っても悟りません。嘆かずにいられましょうか。昔の人のいう「天の禍を貪って止めない」とは、このことです。
解説
この章句が説くこと
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司馬法・仁本義を争いて利を争わず、是を以てその義を明らかにするなり。
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