師導古典を学びたいすべての人に

慎思録 / 巻之一

厭煩。是人之大病。是所以人事之廢弛。功業之不成也。葢事物之應接。雖煩多。皆是吾人所當爲分內之事也。但循序漸爲。則無苦心勞力之患。而有果行成事之功。程子曰。非是事累心。却是心累事也。朱子曰。學者常要親細務。莫令心麤。此等之言。可爲放惰而厭事者之戒。今之學者。往往有厭煩之病。所以終不做事也。故呂氏童蒙訓曰。鹵莽而厭煩者。決無有成之理。明費元祿曰。耐煩二字最妙。能耐煩。天下何事不可做。此兩言。子弟之輩所宜省也。

新字:厭煩。是人之大病。是所以人事之廃弛。功業之不成也。葢事物之応接。雖煩多。皆是吾人所当為分内之事也。但循序漸為。則無苦心労力之患。而有果行成事之功。程子曰。非是事累心。却是心累事也。朱子曰。学者常要親細務。莫令心麤。此等之言。可為放惰而厭事者之戒。今之学者。往往有厭煩之病。所以終不做事也。故呂氏童蒙訓曰。鹵莽而厭煩者。決無有成之理。明費元禄曰。耐煩二字最妙。能耐煩。天下何事不可做。此両言。子弟之輩所宜省也。

書き下し

煩を厭ふは、是れ人の大病なり。是れ人事の廃弛し、功業の成らざる所以なり。蓋し事物の応接は、煩多なりと雖も、皆是れ吾人の当に為すべき分内の事なり。但序に循ひて漸く為せば、則ち苦心労力の患ひ無くして、果行成事の功有り。程子曰く、是れ事の心を累はすに非ず、却りて是れ心の事を累はすなりと。朱子曰く、学者は常に細務に親しむことを要す。心をして麤ならしむること莫かれと。此等の言は、放惰にして事を厭ふ者の戒めと為すべし。今の学者、往往煩を厭ふの病有り。終に事を做さざる所以なり。故に呂氏の童蒙訓に曰く、鹵莽にして煩を厭ふ者は、決して成ること有るの理無しと。明の費元禄曰く、耐煩の二字最も妙なり。能く煩に耐ふれば、天下何事か做すべからざらんと。此の両言は、子弟の輩の宜しく省みるべき所なり。

現代語訳

煩わしさを嫌うのは、人の大きな病です。これが人の務めがなおざりになり、仕事が成就しない理由です。物事への応対は煩わしく多くても、どれも私たちがなすべき自分の分の内の事です。ただ順序に従って少しずつ行えば、心を苦しめ力を労する心配がなく、やり遂げて事を成す成果があります。程子は「事が心を煩わすのではない。かえって心が事を煩わすのだ」と言い、朱子は「学ぶ者は常に細かな務めに親しむ必要がある。心を粗くしてはいけない」と言いました。これらの言葉は、怠けて事を嫌う者の戒めとすべきです。今の学ぶ者には、しばしば煩わしさを嫌う病があり、それで結局何も成し遂げないのです。だから呂氏の『童蒙訓』に「いい加減で煩わしさを嫌う者は、決して成功する道理はない」とあります。明の費元禄は「煩に耐えるの二字が最もよい。よく煩わしさに耐えれば、天下に何ができないことがあろう」と言いました。この二つの言葉は、若い者たちがよく省みるべきものです。

解説

面倒を嫌う心が仕事を台無しにすると戒め、耐煩の二字を勧めた条です。程子の「事が心を累はすのではなく心が事を累はす」という言葉は、煩わしさの正体は事の多さではなく自分の心の構えにあると指摘します。呂氏の『童蒙訓』は北宋の呂本中が子弟のためにまとめた書です。益軒は、どれほど煩雑な事も自分の分内の事と受け止め、順序よく少しずつ片づければ苦にならないと言います。面倒な雑務を後回しにしがちな人に、手順を分けて一つずつ進める知恵を授けてくれます。

この章句が説くこと

耐煩細務功業程子

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる