慎思録 / 巻之一
克慾以剛。須如猛將之鏖敵。朱子曰。克己別無巧法。譬如孤軍猝逢强敵。只得盡力舍己向前而巳。尙何問哉。此譬最切。是可爲克己之良法。學者之所宜循守也。人能從事於此。則何己私之難克之有。凡講學之得力者。在于克己之私慾。與知過而能改。不然。則雖從事于講學。何以爲。
新字:克慾以剛。須如猛将之鏖敵。朱子曰。克己別無巧法。譬如孤軍猝逢強敵。只得尽力舎己向前而巳。尚何問哉。此譬最切。是可為克己之良法。学者之所宜循守也。人能従事於此。則何己私之難克之有。凡講学之得力者。在于克己之私慾。与知過而能改。不然。則雖従事于講学。何以為。
書き下し
欲に克つには剛を以てす。須らく猛将の敵を鏖にするが如くなるべし。朱子曰く、己に克つには別に巧法無し。譬へば孤軍猝かに強敵に逢ふが如し。只力を尽くし己を舎てて前に向かふことを得るのみ。尚ほ何をか問はんと。此の譬へ最も切なり。是れ己に克つの良法と為すべし。学者の宜しく循守すべき所なり。人能く此に従事すれば、則ち何ぞ己私の克ち難きこと之れ有らん。凡そ講学の力を得る者は、己の私欲に克つと、過ちを知りて能く改むるとに在り。然らざれば、則ち講学に従事すと雖も、何を以て為さん。
現代語訳
欲に打ち勝つには剛さをもってします。勇猛な将軍が敵を皆殺しにするようでなければなりません。朱子は「己に克つのに特別な巧い方法はない。たとえば孤立した軍が突然強敵に出会ったようなものだ。ただ力を尽くし、我が身を捨てて前に進むしかない。それ以上何を問うことがあろう」と言いました。このたとえは最も的確です。これこそ己に克つよい方法で、学ぶ者が従い守るべきものです。人がよくこれに取り組めば、自分の私心に克つのがどうして難しいことがありましょう。学問を講じて力を得るところは、自分の私欲に克つことと、過ちを知ってよく改めることにあります。そうでなければ、学問を講じても何になるでしょう。
解説
克己には巧い方法はなく、覚悟を決めて正面から向かうしかないと説いた条です。「己に克つ」は『論語』顔淵篇の「己に克ちて礼に復るを仁と為す」に由来する朱子学の中心的な修養です。朱子の孤軍のたとえは、逃げ場のない状況で全力で前に出るしかない心境を言い、益軒はこれを最も切実な表現と評価しています。前の条で柔和や温恭を説いた益軒が、欲に対しては剛で臨めと言うのは、剛柔の使い分けの実例です。悪い習慣を断つときの心構えとして読めます。
この章句が説くこと
克己欲剛朱子改過
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