慎思録 / 巻之一
常人之議事。多是偏於一理。主於一利。故所思不能周悉。往往偏僻蔽固。自以爲是。是以所見所行。中理者寡矣。是猶不見四方。而唯知於一隅也。
新字:常人之議事。多是偏於一理。主於一利。故所思不能周悉。往往偏僻蔽固。自以為是。是以所見所行。中理者寡矣。是猶不見四方。而唯知於一隅也。
書き下し
常人の事を議するは、多く是れ一理に偏り、一利を主とす。故に思ふ所周悉すること能はず、往往偏僻蔽固にして、自ら以て是と為す。是を以て見る所行ふ所、理に中る者寡し。是れ猶ほ四方を見ずして、唯一隅を知るがごときなり。
現代語訳
普通の人が物事を論じるときは、多くは一つの理屈に偏り、一つの利益を主とします。だから考えが行き届かず、しばしば偏って頑なになり、自分では正しいと思っています。そのため、見ることも行うことも、道理に当たることが少ないのです。これはちょうど、四方を見ずに、ただ一つの隅だけを知っているようなものです。
解説
議論が偏る原因を、一つの理屈と一つの利益への固執に見た短い条です。一理に偏るとは、ある筋の通った考えだけで全体を判断すること、一利を主とするとは、特定の損得だけを軸に考えることです。どちらも部分的には正しいため、本人は自分が正しいと思い込みやすいのが厄介なところです。『論語』述而篇の「一隅を挙ぐ」という言葉を思わせる結びも印象的です。会議で一つの論点に議論が集中したとき、ほかの見方はないかと問い直す習慣を持ちたいものです。
この章句が説くこと
偏見議論理利視野
関連する章句
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『呻吟語』内篇・談道・理一にして氣・勢・利は三なり先天は、理のみ。後天は、氣のみ。天下は、勢のみ。人情は、利のみ。理は一にして、氣・勢・利は三なり。勝負知る可し。
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『呻吟語』内篇・談道・勢は帝王の權、理は聖人の權公卿朝に爭議するに、天子に命有りと曰へば、則ち屏然として敢へて屈直せず。師儒學に相辯ずるに、孔子に言有りと曰へば、則ち寂然として敢へて異同せず。故に天地の間、惟だ理と勢とを最尊と為す。然りと雖も、理は又尊の尊なり。廟堂の上に理を言へば、則ち天子も勢を以て相奪ふを得ず。即し相奪ふとも、理は則ち常に天下萬世に伸ぶ。故に勢は、帝王の權なり。理は、聖人の權なり。帝王に聖人の理無くんば、則ち其の權時有りて屈す。然らば則ち理なる者は、又勢の恃みて以て存亡を為す所なり。莫大の權を以て僭竊の禁無し。此れ儒者の辭せずして敢へて斯道の南面に任ずる所以なり。
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『呻吟語』内篇・應務・理を貶せず、又た人を駭かさず君子の事に處するに真見有るも、遽かに行はざるなり。又た眾見を驗し、眾情を察し、諸を理に協へて協ひ、諸を眾情・眾見に協へて協へば、則ち斷じて以て必ず行ふ。果たして理は當然にして、眾情・眾見の協はざるや、又た委曲して以て吾が理を行ふ。既に理を貶せず、又た人を駭かさず。此れを之れ理術と謂ふ。噫、惟だ聖人のみ之を能くす。獵較の類是れなり。
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