和俗童子訓 / 巻之五・教女子法
一女子を育つるも、初は大やう男子と異なる事なし。女子は他家に行きて、他人に事ふるものなれば、ことさら不德にては、舅姑夫の心に叶ひ難し。幼くて生先こもれる窻の内より、能く敎ふべき事にこそ侍れ。不德なる事あらば、早く戒むべし。子を思ふ道に迷ひ、愛に溺れ、姑息して其惡しきことをゆるし、其性をそこなふべからず。年に隨ひて、まづ早く女德を敎ふべし。女德とは、女の心ざまの正しくして善なるを云ふ。凡女は、容より心の優れるこそめでたかるべけれ。女德をえらばず、容を本としてかしづくは、いにしへ今の世の惡しきならはしなり。古の賢き人は、容の勝れてみにくきをも嫌はで、心ざまの勝れたるをこそ、后妃にもかしづき備へさせ給ひけれ。
新字:一女子を育つるも、初は大やう男子と異なる事なし。女子は他家に行きて、他人に事ふるものなれば、ことさら不徳にては、舅姑夫の心に叶ひ難し。幼くて生先こもれる窓の内より、能く教ふべき事にこそ侍れ。不徳なる事あらば、早く戒むべし。子を思ふ道に迷ひ、愛に溺れ、姑息して其悪しきことをゆるし、其性をそこなふべからず。年に随ひて、まづ早く女徳を教ふべし。女徳とは、女の心ざまの正しくして善なるを云ふ。凡女は、容より心の優れるこそめでたかるべけれ。女徳をえらばず、容を本としてかしづくは、いにしへ今の世の悪しきならはしなり。古の賢き人は、容の勝れてみにくきをも嫌はで、心ざまの勝れたるをこそ、后妃にもかしづき備へさせ給ひけれ。
書き下し
一女子を育つるも、初は大やう男子と異なる事なし。女子は他家に行きて、他人に事ふるものなれば、ことさら不徳にては、舅姑夫の心に叶ひ難し。幼くて生先こもれる窓の内より、能く教ふべき事にこそ侍れ。不徳なる事あらば、早く戒むべし。子を思ふ道に迷ひ、愛に溺れ、姑息して其悪しきことをゆるし、其性をそこなふべからず。年に随ひて、まづ早く女徳を教ふべし。女徳とは、女の心ざまの正しくして善なるを云ふ。凡女は、容より心の優れるこそめでたかるべけれ。女徳をえらばず、容を本としてかしづくは、いにしへ今の世の悪しきならはしなり。古の賢き人は、容の勝れてみにくきをも嫌はで、心ざまの勝れたるをこそ、后妃にもかしづき備へさせ給ひけれ。
現代語訳
女子を育てるのも、初めはおおよそ男子と異なることはありません。女子は他家に嫁いで他人に仕えるものですから、とりわけ徳がなければ、舅・姑・夫の心にかないにくいのです。幼くて将来のこもる深窓のうちから、よく教えるべきです。徳にはずれたことがあれば、早く戒めなさい。子を思う道に迷い、愛に溺れ、姑息にその悪いところを許して、その性を損なってはなりません。年齢に従って、まず早く女徳を教えなさい。女徳とは、女性の心のあり方が正しくて善いことを言います。およそ女性は、容姿よりも心がすぐれていることこそ、めでたいのです。女徳を選ばず、容姿を本として大切にするのは、昔も今も世の悪い習わしです。昔の賢い人は、容姿がたいへん醜くても嫌わず、心のあり方のすぐれた人をこそ、后妃にも迎えて備えられたのです。
解説
この章句が説くこと
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