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慎思録 / 巻之一

智者必有仁。仁者必有智。葢是非之心。觸事而發見。與惻隱之心。感物而發動同。是本心感通之道理。如針刺爪抓。亦知痛癢一般。故不知者必不仁。忍刻者必不通明。不仁不智。倶是本心閉塞。而不能感通也。夫智者必有仁。無仁不足爲智。然智者所得之分數。智多於仁。故稱智者。仁者必有智。無智不能行仁。然仁本心之全德。兼智而在其中矣。其爲人也。仁爲之主。故不稱智者。而稱仁者。

新字:智者必有仁。仁者必有智。葢是非之心。触事而発見。与惻隠之心。感物而発動同。是本心感通之道理。如針刺爪抓。亦知痛癢一般。故不知者必不仁。忍刻者必不通明。不仁不智。倶是本心閉塞。而不能感通也。夫智者必有仁。無仁不足為智。然智者所得之分数。智多於仁。故称智者。仁者必有智。無智不能行仁。然仁本心之全徳。兼智而在其中矣。其為人也。仁為之主。故不称智者。而称仁者。

書き下し

智者は必ず仁有り。仁者は必ず智有り。蓋し是非の心の、事に触れて発見するは、惻隠の心の、物に感じて発動すると同じ。是れ本心感通の道理なり。針もて刺し爪もて抓くが如き、亦痛痒を知ると一般なり。故に知らざる者は必ず不仁なり。忍刻なる者は必ず通明ならず。不仁不智は、倶に是れ本心閉塞して、感通すること能はざるなり。夫れ智者は必ず仁有り。仁無ければ智と為すに足らず。然れども智者の得る所の分数、智仁より多し。故に智者と称す。仁者は必ず智有り。智無ければ仁を行ふこと能はず。然れども仁は本心の全徳にして、智を兼ねて其の中に在り。其の人と為りや、仁之が主為り。故に智者と称せずして、仁者と称す。

現代語訳

智のある者には必ず仁があり、仁のある者には必ず智があります。是非を見分ける心が事に触れて現れるのは、あわれみの心が物に感じて動くのと同じで、どちらも本心が感じて通じる道理です。針で刺されたり爪で引っかかれたりすれば、痛さかゆさを知るのと同じことです。だから知のない者は必ず不仁であり、残忍で薄情な者は必ず物事に通じて明らかではありません。不仁と不智は、どちらも本心がふさがって、感じて通じることができないのです。智者には必ず仁があります。仁がなければ智とするには足りません。しかし智者が得ている割合は、智が仁より多いので、智者と呼ぶのです。仁者には必ず智があります。智がなければ仁を行うことはできません。しかし仁は本心のすべてを備えた徳で、智を兼ねてその中に含んでいます。その人柄は仁が主となっているので、智者とは呼ばずに仁者と呼ぶのです。

解説

仁と智を切り離さず、どちらも本心の感通という一つの働きだと説いた条です。是非の心と惻隠の心は、『孟子』公孫丑上篇の四端に挙げられる智と仁の端緒です。痛みやかゆみを感じるたとえは、程明道が手足のしびれを「不仁」と呼んだ医書の言葉を引いたことを思わせ、医にも通じた益軒らしい説明です。仁は智を含む全徳だという位置づけも朱子学の見方に沿っています。人の痛みに鈍い人は判断も誤りやすいという指摘は、今の職場にもよく当てはまります。

この章句が説くこと

感通本心四端

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