慎思録 / 巻之一
看史而不專經。則其蔽也。流蕩而忘返也。耽嗜詞章。則心爲之所累。可謂玩物喪志也。夫詞章之學。比之看史。則用心過多。其爲蔽也大。葢學者不專一于義理。則其志荒。而不能進道。程子曰。不專一。則不能直遂。故爲學之工夫。貴精專。
新字:看史而不専経。則其蔽也。流蕩而忘返也。耽嗜詞章。則心為之所累。可謂玩物喪志也。夫詞章之学。比之看史。則用心過多。其為蔽也大。葢学者不専一于義理。則其志荒。而不能進道。程子曰。不専一。則不能直遂。故為学之工夫。貴精専。
書き下し
史を看て経を専らにせざれば、則ち其の蔽や、流蕩して返ることを忘る。詞章に耽嗜すれば、則ち心之が為に累はさる。物を玩びて志を喪ふと謂ふべし。夫れ詞章の学は、之を史を看るに比すれば、則ち心を用ふること過多にして、其の蔽為るや大なり。蓋し学者義理に専一ならざれば、則ち其の志荒れて、道に進むこと能はず。程子曰く、専一ならざれば、則ち直遂すること能はずと。故に学を為すの工夫は、精専を貴ぶ。
現代語訳
歴史書を読んで経書に専念しなければ、その弊害は、流されさまよって戻ることを忘れることです。詩文に耽れば、心がそれに煩わされます。物をもてあそんで志を失う、と言うべきです。詩文の学は、歴史書を読むことに比べれば、心を用いることが多すぎて、その弊害は大きいのです。学ぶ者が義理に専念しなければ、その志は荒れて、道に進むことができません。程子は「専一でなければ、まっすぐに遂げることはできない」と言いました。だから学問の工夫は、精密で専一であることを尊びます。
解説
歴史と詩文への偏りを、経書の学からの逸脱として戒めた条です。「物を玩びて志を喪ふ」は『尚書』旅獒篇の言葉で、程子はこれを学者が記誦や詩文に溺れることへの戒めとして用いました。益軒は歴史書を読むこと自体は否定しませんが、経書で義理を固めずに読むと、出来事の面白さに流されると言います。詩文はさらに心を奪いやすいとします。趣味や教養は豊かさをもたらしますが、自分の軸を持たずに没頭すると本来の志を見失う、という注意として読めます。
この章句が説くこと
志専一史詞章玩物喪志
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