慎思録 / 巻之一
學問之要有二。在知其所未知。行其所已知而已。爲學者。必欲造道。欲造道者。貴擇術。欲擇術者。又必可擇師友。師友明良。則學術正矣。學術正矣。而後可造道也。苟學術不正。則勞心志費日月。而終身無成功。或迷于曲徑邪路者多矣。一失脚。則不能復于正路。故學者須以擇術爲第一事。
新字:学問之要有二。在知其所未知。行其所已知而已。為学者。必欲造道。欲造道者。貴択術。欲択術者。又必可択師友。師友明良。則学術正矣。学術正矣。而後可造道也。苟学術不正。則労心志費日月。而終身無成功。或迷于曲径邪路者多矣。一失脚。則不能復于正路。故学者須以択術為第一事。
書き下し
学問の要は二つ有り。其の未だ知らざる所を知り、其の已に知る所を行ふに在るのみ。学を為す者は、必ず道に造らんと欲す。道に造らんと欲する者は、術を択ぶを貴ぶ。術を択ばんと欲する者は、又必ず師友を択ぶべし。師友明良なれば、則ち学術正し。学術正しくして、而る後に道に造るべきなり。苟も学術正しからざれば、則ち心志を労し日月を費やして、終身成功無し。或いは曲径邪路に迷ふ者多し。一たび脚を失へば、則ち正路に復ること能はず。故に学者は須らく術を択ぶを以て第一の事と為すべし。
現代語訳
学問の要は二つあります。まだ知らないことを知り、すでに知っていることを行うことにあるだけです。学問をする者は、必ず道に至ろうとします。道に至ろうとする者は、学ぶ道を択ぶことを尊びます。学ぶ道を択ぼうとする者は、また必ず師と友を択ばなければなりません。師と友が賢明で善良であれば、学問の方法は正しくなります。学問の方法が正しくなって初めて、道に至ることができます。学問の方法が正しくなければ、心を労し月日を費やしても、一生成果がありません。あるいは曲がった小道や邪な道に迷う者も多いのです。一度足を踏み外せば、正しい道に戻ることはできません。だから学ぶ者は、学ぶ道を択ぶことを第一の事としなければなりません。
解説
学問の要を知と行の二つにまとめ、その前提として学ぶ道と師友の選択を置いた条です。前々条の劉敞の四択を受けて、特に学術の選択を第一の事と強調しています。「一たび脚を失へば正路に復ること能はず」という言葉には、若い頃に陽明学などにも関心を寄せながら朱子学に戻った益軒自身の経験が重なっているのかもしれません。何を、誰から学ぶかで、同じ努力の実りが大きく変わります。始める前に、信頼できる師や仲間を探す手間を惜しまないことが大切です。
この章句が説くこと
学問択術師友道知行
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