慎思録 / 巻之一
舜詢於四岳。闢四門。明四目。達四聰。如此而可旁達天下之聰明。廣視聽於四方。以决天下之壅蔽。葢天下至大。唯恐下情不通。聞見有壅蔽。然以四方之目爲目。則無所不視。以四方之耳爲耳。則無所不聽。以四方之心爲心。則無所不通。舜之大智。舍己從人。取於人以爲善如此。學者之於道。亦當以是爲法。葢天地萬物之理。天下古今之事。可謂廣大矣。須開濶其心胸。廣博其聞見。以取天下古今之善。明天地萬物之理。苟負一己之視聽而自是不取於人。則壅塞而不通。偏陋而不大。所謂自用則小也。不明孰甚焉。以如此偏狹蔽固之見。欲究於天地萬物天下古今無窮之道理。不亦難乎。
新字:舜詢於四岳。闢四門。明四目。達四聰。如此而可旁達天下之聰明。広視聴於四方。以決天下之壅蔽。葢天下至大。唯恐下情不通。聞見有壅蔽。然以四方之目為目。則無所不視。以四方之耳為耳。則無所不聴。以四方之心為心。則無所不通。舜之大智。舎己従人。取於人以為善如此。学者之於道。亦当以是為法。葢天地万物之理。天下古今之事。可謂広大矣。須開濶其心胸。広博其聞見。以取天下古今之善。明天地万物之理。苟負一己之視聴而自是不取於人。則壅塞而不通。偏陋而不大。所謂自用則小也。不明孰甚焉。以如此偏狭蔽固之見。欲究於天地万物天下古今無窮之道理。不亦難乎。
書き下し
舜四岳に詢り、四門を闢き、四目を明らかにし、四聡を達す。此くの如くにして天下の聡明に旁く達し、視聴を四方に広めて、以て天下の壅蔽を決すべし。蓋し天下は至大なり。唯下情通ぜず、聞見に壅蔽有らんことを恐る。然れども四方の目を以て目と為せば、則ち視ざる所無し。四方の耳を以て耳と為せば、則ち聴かざる所無し。四方の心を以て心と為せば、則ち通ぜざる所無し。舜の大智、己を舎てて人に従ひ、人に取りて以て善を為すこと此くの如し。学者の道に於けるも、亦当に是を以て法と為すべし。蓋し天地万物の理、天下古今の事は、広大と謂ふべし。須らく其の心胸を開濶し、其の聞見を広博にして、以て天下古今の善を取り、天地万物の理を明らかにすべし。苟も一己の視聴を負みて自ら是とし人に取らざれば、則ち壅塞して通ぜず、偏陋にして大ならず。所謂自ら用ふれば則ち小なり。不明孰れか焉より甚だしからん。此くの如き偏狭蔽固の見を以て、天地万物天下古今無窮の道理を究めんと欲す。亦難からずや。
現代語訳
舜は四方の諸侯の長に相談し、四方の門を開き、四方の目を明らかにし、四方の耳を通じさせました。こうして天下の聡明に広く通じ、見聞きすることを四方に広げて、天下のふさがりを切り開いたのです。天下はきわめて大きく、ただ下々の実情が通じず、見聞きにふさがりがあることを恐れます。しかし四方の目を自分の目とすれば、見えないところはありません。四方の耳を自分の耳とすれば、聞こえないところはありません。四方の心を自分の心とすれば、通じないところはありません。舜の大いなる知恵は、自分を捨てて人に従い、人から取り入れて善を行うことが、このようでした。学ぶ者が道に向かうときも、これを手本とすべきです。天地万物の理や天下古今の事は、広大と言うべきものです。胸の内を大きく開き、見聞きするものを広くして、天下古今の善を取り入れ、天地万物の理を明らかにしなければなりません。もし自分一人の見聞きを頼んで自分を正しいとし、人から取り入れなければ、ふさがって通じず、偏って狭く大きくなれません。いわゆる「自分の考えだけを用いれば小さくなる」です。これ以上の愚かさがありましょうか。このような偏って狭く頑なな見方で、天地万物と天下古今の限りない道理を窮めようとするのは、難しいことではないでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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