慎思録 / 巻之一
白虎通曰。三綱者何謂也。謂君臣父子夫婦也。君爲臣綱。父爲子綱。夫爲妻綱。西山眞氏曰。三綱之名。始見於此。非漢儒之言。古之遺言也。篤信曰。孔子說仁之一字。正兼四德。於易說仁與義。孟子說仁義。復兼說仁義禮智。至漢董仲舒曰仁義禮智信。五常之道。王者所當修飭也。五常竝擧者。以是爲始。是亦疑非董子初言。古之遺言也。然而信乃仁義禮智之實者。非四德之外別有信。故孟子啻說仁義禮智。說四端。
新字:白虎通曰。三綱者何謂也。謂君臣父子夫婦也。君為臣綱。父為子綱。夫為妻綱。西山真氏曰。三綱之名。始見於此。非漢儒之言。古之遺言也。篤信曰。孔子説仁之一字。正兼四徳。於易説仁与義。孟子説仁義。復兼説仁義礼智。至漢董仲舒曰仁義礼智信。五常之道。王者所当修飭也。五常並挙者。以是為始。是亦疑非董子初言。古之遺言也。然而信乃仁義礼智之実者。非四徳之外別有信。故孟子啻説仁義礼智。説四端。
書き下し
白虎通に曰く、三綱とは何の謂ぞや。君臣父子夫婦を謂ふなり。君は臣の綱為り、父は子の綱為り、夫は妻の綱為りと。西山真氏曰く、三綱の名、始めて此に見ゆ。漢儒の言に非ず、古の遺言なりと。篤信曰く、孔子仁の一字を説きて、正に四徳を兼ぬ。易に於て仁と義とを説く。孟子は仁義を説き、復た兼ねて仁義礼智を説く。漢の董仲舒に至りて曰く、仁義礼智信、五常の道は、王者の当に修飭すべき所なりと。五常並び挙ぐる者は、是を以て始めと為す。是れも亦疑ふらくは董子の初言に非ず、古の遺言ならん。然り而して信は乃ち仁義礼智の実なる者にして、四徳の外に別に信有るに非ず。故に孟子は啻だ仁義礼智を説き、四端を説くのみ。
現代語訳
『白虎通』に「三綱とは何のことか。君臣・父子・夫婦のことである。君は臣の綱であり、父は子の綱であり、夫は妻の綱である」とあります。真西山は「三綱の名はここに初めて見える。漢の儒者の言葉ではなく、古くから伝わった言葉である」と言いました。私篤信が思うに、孔子は仁の一字を説いて、まさに四徳を兼ねていました。『易』では仁と義を説いています。孟子は仁義を説き、また兼ねて仁義礼智を説きました。漢の董仲舒に至って「仁義礼智信の五常の道は、王者が修め整えるべきものである」と言いました。五常を並べて挙げたのは、これが始まりです。これもまた、董仲舒が初めて言ったのではなく、古くから伝わった言葉ではないかと疑われます。しかし信は仁義礼智の実質であって、四徳のほかに別に信があるのではありません。だから孟子はただ仁義礼智を説き、四端を説いただけなのです。
解説
この章句が説くこと
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