慎思録 / 巻之一
學者居常。須以溫和慈愛爲心。便是爲善之本。以仁存心也。如嚴毅威武。須用之有時。非居常之道也。朱子曰。須是慈祥和厚爲本。如勇決剛果。雖不可無。然用之有處所。
新字:学者居常。須以温和慈愛為心。便是為善之本。以仁存心也。如厳毅威武。須用之有時。非居常之道也。朱子曰。須是慈祥和厚為本。如勇決剛果。雖不可無。然用之有処所。
書き下し
学者居常、須らく温和慈愛を以て心と為すべし。便ち是れ善を為すの本にして、仁を以て心を存するなり。厳毅威武の如きは、須らく之を用ふるに時有るべし。居常の道に非ず。朱子曰く、須らく是れ慈祥和厚を本と為すべし。勇決剛果の如きは、無かるべからずと雖も、然れども之を用ふるに処所有りと。
現代語訳
学ぶ者は普段、温和で慈しみ深いことを心としなければなりません。それがすなわち善を行う根本であり、仁によって心を保つことです。厳しさや威厳のようなものは、用いるべき時があるもので、普段の道ではありません。朱子は「慈しみ深く和やかで厚いことを根本としなければならない。勇ましい決断や剛毅果断のようなものは、無くてはならないけれども、用いるべき場所がある」と言いました。
解説
日常の心の置きどころを温和慈愛に定め、厳しさは場面を選んで使う道具だとした条です。朱子の言葉を引いて、慈祥和厚が本、勇決剛果は用いどころのあるものと位置づけています。前条の剛柔論を受け、剛は必要でも常用するものではないと整理しているのです。上に立つ人ほど、厳しさを普段の顔にしてしまいがちです。叱るべき場面で叱れるのは、普段が穏やかだからこそ効く、という人間関係の実感にも通じます。
この章句が説くこと
仁慈愛温和朱子心
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